
『Tシャツが乾くまで(ティーシャツが乾くまで)』最終回!第10話の考察まとめです!
最終話の咲子、充、樹生の心情を紐解いていきたいと思います。
『Tシャツが乾くまで』最終回10話考察まとめ(ネタバレ)
咲子は、失踪元じゃなくて失踪先
咲子は充にとって家族ではなくなりました。でも、カボチャ抜きの料理を作っていることから、充はたまには咲子のところに帰っているようです。
家族ではないけど、帰る場所。
この家から失踪するんじゃなくて、失踪して逃げてくる場所。咲子は、もう失踪元じゃなくて失踪先なんです。
充にとっての咲子はそんな存在に変化したのだと思います。
充に失踪癖があると考えれば、失踪先というのはある意味で究極の愛の形のような気もします。
反対に咲子にとっての充は、たまにこっちに飛んでくる紙飛行機みたいな存在。家族ではないけど、帰ってきてくれる人。
最終回は十人十色の感想になりそうですが、これまでのドラマで見たことのない人間関係を描いていたという点では良かったと思います。
今日はこれいらないや→カボチャでの微細な感情表現
ラストシーンで料理をしていた咲子、今日これいらないやと言ってカボチャをしまいました。
これは充が帰ってくるからカボチャはいらない、という意味ですが、逆にいうといつもは来訪者の料理にカボチャを入れていたということ。
確か、樹生はカボチャが好きでしたよね。樹生もたまに来ていることも表現していたんですね。
それと同時に、咲子の中で充と樹生が同じような存在になったのかなという示唆でもある気がします。
咲子の中で、充も樹生と同じような“何でも話せる大切な友達”みたいな存在になったんだな、と思うと少し寂しいような切ないような気持ちもなります。
充=ひこうき
充は家を出て行きましたが、どこか夫婦合意の失踪みたいでしたね。
長野行きのバスに乗る前みたいな格好でフラッと出て行って、たまにフラッと帰ってくる。
咲子は充は飛行機のように縛れない存在なのだと悟りましたが、好きなのはいつまでも変わらない。ときどきは降りてきてくれる飛行機のような存在。それが充なんだと思います。
また充は、大人になると帰る場所が増えるとも言ってました。
充は喫茶・ひこうきにもたまに顔を出すのでしょう。長野の実家にもたまに帰るのでしょう。
充にとって失踪と旅が本当の自分を出せる、飛行機でいうと空を飛んでいる時間。咲子や実家にいるときが空港に着いたとき…みたいな感じなのかもしれません。充にとってはどちらも必要な時間なんでしょう。
ラストは、咲子、充、樹生がそれぞれの生き方を決めたハッピーエンドに見えました。
しかし充の失踪癖は治っていないわけですから、充は新しい恋人とか、新しい妻とかが出来て、失踪して咲子のところに戻ってくる…そんな性懲りもない世界線もちょっと想像しちゃいますね。
中途半端がちょうどいい
樹生はあずさと充の関係について、中途半端な関係だからこそあずさは話せなかったのだと理解します。確かに、友達なのかなんなのか確定していない関係って他の人に話しにくいですよね。
そして樹生は咲子に、同じような中途半端な関係を続けたいと求めました。あずさのことを理解できたからこそ、咲子と男女の関係を超えてそんな関係になれると確信したのでしょう。
樹生はいつも“ちょうどよい”を基準に物事を考えていました。でもあずさは、ちょうどよくなる過程を楽しみたかったタイプ。
最終回で樹生が出した答えが、中途半端がちょうどいいという逆説なのだと思います。樹生は、あずさがいるときにそのことに気づいてあげられれば良かったと悔やんでいたのが切ないです。
ただ、樹生の心は間違いなく成長したと思います。
樹生とあずさが出した答え、中途半端がちょうどいい。それがしっかりと息子・翔にも伝わることでしょう。
Tシャツが乾くまで、最終回の各シーンの解説と感想(ネタバレ)
最終回10話はラスト含めて何を伝えようとしてたのか。ラストシーンから話して、その後は各シーンについて語って行きます。
結論からいうと、咲子自身がみんなのコインランドリーになり、そして充の失踪先になるような最終話でした。最後に料理前にカボチャを片付けたシーンから紐解いて行きましょう。まず、カボチャを嫌いなのは充なので、ラストシーンの来訪者は充、と読むのが自然です。
おかえり〜と言ってますからね。
咲子にとって1番つらかったのは、充の心の逃げ場。つまり失踪先が自分ではなくあずさだったこと。でも、離婚して離れてみて、今度は充がたまに帰ってきてくれる場所になった。
充が別の場所で新しく暮らし始めたとして、また失踪癖が出たら今度は咲子のところに逃げ込むかもしれませんね。そんな未来予想図が見えます。
咲子は充にとって、失踪元から失踪先へと変わった。これもまた愛の形なのだと思います。夫婦という形が終わっただけで、2人の関係は終わっていないようにも見えますね。
そして翔の上履き入れを縫っている咲子。樹生との中途半端な関係も続いているようです。
庭で花火するシーン、樹生は中途半端な関係を続けたいと言っている。樹生は指輪してるんですよね。でも、咲子が喫茶飛行機で電話を取った時は樹生が優しい表情で咲子を見ています。これは咲子が大丈夫なんだという安堵の表情なのか。好きという気持ちが少しはあるのか。両方の気持ちが入り混じっているのでしょうけど、自分は後者にも見えましたね。
最終話では、中途半端な関係がちょうどいいという逆説を綺麗に描いているように見えて、今後、咲子と充、咲子と樹生の関係性はどう変化するんだろうという余韻もありました。
ドラマ序盤は夫を失ったかもしれない咲子と、妻を失った樹生が不思議な糸で結ばれていくのか?という展開が続きますが、充が帰ってきてからは、夫婦という糸がどんどん解けて行く方向へと変わります。咲子と樹生が距離を詰めたのもなかったことになります。
スピッツの見知らぬ糸の歌詞も見知らぬ糸が編まれて、薄い衣きぬになる。包み込まれていく〜なので、関係性が糸のように編まれる物語かと思いきや、糸が解けていく物語だったんですね。
咲子はなんで今まで家族とか夫婦っていう形にこだわってたんだっけ?全然孤独じゃないじゃんって気づいちゃったんですよ。
一緒に住んでなくても、会うのが週一でも月一でもいい。お互いに居心地が良くてちょうどいい距離感でいられる人とだけ一緒にいる。充ともそうなりたい。解けた糸に戻りたい。
充の嫌われたかっただけ、嫌いになって別れれば楽になると思っただけ。ここに充の性格が凝縮されているというか、まずは自分の気持ちを守ることが優先なんだなあと思いました。
咲子と真剣に話し合うのではなく、しっかりと向き合わずに自分の独断で動く。咲子を嫌いになり、嫌われて自分の負担を軽くしようとしている。そんな行動原理が失踪にきれいにつながっていると思いました。
咲子の、申し訳ないけど嫌いにはならないよという言葉で、充は少しは成長できたのかもしれません。
花火大会のチケットのくだりは、充が咲子のために買ったとは思ってましたけど、心を揺さぶられました。充はどうしようもない失踪癖で咲子を傷つけたけど、咲子を真剣に愛してもいたんだなとわかるシーン。
あとは、このドラマにおいて、家族って花火みたいなものなのかな〜と思いました。綺麗だけどパッと散ってしまう。咲子からしても、好きだけど、トラウマもあって近くには行けない。家族にも固執していたけど、結婚に向いていないかもしれない。
樹生の息子・翔のスニーカーについても、樹生の心も、あずさがいなくなってからあずさのおおらかさにフィットした感じでしたね。切ないです。
シーツ、全然洗濯してないと言ってましたけど、1年間してなかったのかな。充の匂いが残っているからとか。この辺からも充をどれくらい好きだったかがうかがいしれます。本当に1年洗濯してなかったなら汚れが大丈夫なのか気になりますが。
Tシャツが乾くまでというタイトルは、乾いたら夫婦としての別れが来るという回収がされました。シーツに霧吹きかけるシーンは本当に別れるのか自信のなさの表れというか、余韻に浸っているようでしたね。カーテンを吊るすのは自分でできる。咲子が脚立買ったという。最後は咲子が充の背中を押しました。
充が宮内に会いに行くシーン。宮内が施設に来てくれた本屋だったとあずさは知っていたと充は話します。宮内はあずさにずっと会っていない娘の話をしていたようです。そうしているうちに、あずさが実の娘のように感じてきたのだと思います。
宮内もあずさもお互いに覚えてるって言えばいいのにって思いましたけど、宮内からすれば小学生にずっと会っていない娘の話を真剣にしていたのが、恥ずかしくて仕方なかったのかもしれません。あのときの本屋のお親父、真剣に娘の話してきてキモかった〜とか思われていたら、せっかくの思い出が台無し。しかも側から見ればロリコンとも思われかねませんから。見ず知らずのおじさんと少女がおしゃべりする関係なんて世間的には許されないかもしれません。宮内とあずさも、名前がつけられない関係そのものだったのでしょう。
宮内が樹生に冷たかったのは、父親としての嫉妬のようなものがあったのでしょうね。
充をのせたバスが田舎を走るシーン。充の横にいたのは小学生の頃の充。充は大人になると帰る場所が増えるからと少年を励まします。過去の自分を励まして現在の心を癒すシーンです。小学生の充を演じているのは7話と同じ寿昌磨ことぶき しょうまくん。ただ、よく見ると7話ではあった鼻のほくろがないんですよね。これは単につけ黒子を忘れただけなのか。それとも、家が心の避難場所ではなく、失踪する寸前の子供たちがたくさんいるという示唆なのか。
ここからは、最終回を含めたドラマ全体を通しての感想です。
ドラマの序盤〜中盤の、咲子と樹生がパートナーをうしなった者同士として葛藤しながらも惹かれあっていくような展開はすごく好きでした。咲子が家族にこだわることをやめて名前のない関係を選択する最終回も良かったです。
咲子自身がコインランドリーに、みんなが適度な距離で喋りかけられる心の避難場所になったような、柚木麻子(ゆずき あさこ)さんの小説バターみたいな帰結。
ただ、8話の充の探偵ごっこや、9話の咲子のバツ4で、このドラマを好きなフィルター、好きドラマフィルターが取れてしまいました。
序盤のテイストのまま最終話まで行けばよかったのに。9話で視聴者にこのドラマを好きなフィルターを外させるという斬新な意図があったのでしょうか。
咲子がバツ4にはどうしても見えないというのが個人的に気になるところです。今回は咲子が別れようと言いましたが、これまでの4人の男性との結婚では咲子がフラれる側だったはず。正直、1話から最終話まで視聴して、男性目線で咲子みたいな女性と離婚したいと思う男っているかな?と思ってしまいました。
だからバツ4という設定だけ宙に浮いている感じが否めないんですよね。直人に離婚届の証人のサインを頼むことくらいかな。
あとは咲子がお母さんと電話していた描写も気になります。咲子は我慢しながらであればお母さんと普通に会話できるようになった。関係性を乗り越えられたような描写でした。しかし咲子は霊柩車に親指を立てるほど母親を嫌悪していた。充に電話してきた咲子の母親も、あの子は世界一優しいと過干渉では片付けられない、毒親か?と思えるような話し振りでした。
充と距離を取ったように母親とも心の距離を取ることができた。そんな意味だったのでしょうか。だと。電話も自分から切ることができたので、適切な親子関係に一歩近づいたのでしょう。
全体を通して語るなら、心に刺さるシーンやセリフも多かったですが、特にドラマ終盤にかけては頭で考えればわかるけど、実際には、そんな場面でそんな感情が喚起され、そんな言動になる?と疑問が湧くシーンが多かったです。生方脚本の特徴なのでしょう。
序盤では、好きな人フィルターでしたっけ、掃除した方がいいですよ、という樹のセリフが刺さりました。これはよく考えれば、不自然な言葉です。でも、樹生の感情に寄り添える部分があったから、セリフにも寄り添えた。
しかし終盤にかけては、咲子や充に共感できなくなり、それに伴ってセリフも浮いてしまっているように見えた。そんな印象です。
あとは、個人的に、充とあずさや、咲子と樹生のような男女のおしゃべり友達の関係は本当に成立するのか?という疑問もあります。
これを言ってしまうとそもそもになってしまいますが、自分の下着とか洗濯するコインランドリーで、異性に話しかけるとかまずないですからね。その辺はあずさが特殊ケースなのかもしれないですが。それにしても、私はコインランドリーで世間話している人見たことないです。みんなあまり近づきすぎないように気を使っている感じがします。
まあ中途半端な関係が変わっても、咲子も樹生もそれはそれでいいのかもしれません。
Tシャツが乾くまで 過去話の考察と解説↓











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