
『Tシャツが乾くまで(ティーシャツが乾くまで)』第9話の考察まとめです!
『Tシャツが乾くまで』9話考察まとめ(ネタバレ)
お互いに本音を話してはいけなかった
第9話は咲子がバツ4だと判明する衝撃事実はありつつ、コメディテイストの回ではありました。
ただ、同時に人間ドラマとしての心理が隠されていた回だと思いました。
お互いに失踪癖と離婚歴のカードが提示されたあとから、お互いに気を使いすぎてギクシャクし出しました。
もし、充と咲子が最初から失踪癖や離婚歴のことを話していたら関係は上手くいったでしょうか?
私たち視聴者はこれまで散々、充に対して思ったはずです。失踪癖についてもっと前から咲子に相談しろ!と。
第9話でいえば、いやいや、咲子もバツ4はさすがに隠していたのはまずいだろ!とツッコんだはずです。
じゃあ逆に、お互いにもっと前にこれらの秘密を共有していたら夫婦関係が上手くいったと断言できるのか?できないでしょ?ドラマはそう問題提起しています。
秘密を共有することが良いことのように語られる風潮がありますが、共有できない秘密がある。
それなら秘密を共有せずにいたほうが良いのでは?
少なくとも咲子と充は10年間はそれで上手く言ってました。第9話の感じだと、たとえば咲子が秘密を共有してたら、充は最初の2〜3年で失踪しそうです。
咲子と充の秘密を共有しない関係をあなたたちは責められるの?なぜあんなに責めたの?そういうメッセージが垣間見えました。
人を捨てる名人と、捨てられる名人
やや不謹慎な言い方なのはご容赦いただきたいですが、
失踪癖のある充は人を捨てる名人、4回プロポーズして結婚して4回ともフラれて離婚された咲子は人に捨てられる名人。
本来、ステータス上は絶対に噛み合わない2人のはずなんですよ。でも、10年間一緒にいることができた。ある意味では奇跡なんだと思います。
しかし今回の咲子の告白があって、お互いに秘密を知った状態で耐えられるのか。最終回が気になりますね。咲子が樹生と6回目の結婚をするとか。
あずさのフィナンシェ問題解決
フィナンシェについては咲子が樹に「充が毎日フィナンシェを持って帰ってくるようになった」とだるそうに言っていたのが鍵になります。そのとき、樹生はハッとしていました。
樹生は製菓メーカーに勤めています。樹生もあずさのために毎日フィナンシェを持ち帰っていたのでしょう。でも、あずさはいつも義務的にフィナンシェを持ってこられることが負担になり、フィナンシェは嫌いだと嘘をついたのだと思います。
いつからが心が入っていない義務的な行動に息苦しさを感じたのでしょう。夫婦あるあるかもしれませんね。
充は婚姻届の時点で咲子の離婚歴に気づかなかったのか?
婚姻届には「初婚・再婚の別」という欄があり、夫と妻それぞれ書きます。
再婚にチェックした場合、死別か離別かを選び、その年月日を和暦で記入。記入するのは直前の1件だけ。咲子が離婚4回でも、書くのは直前の離婚だけ。
それにしても咲子の婚姻届には、4回目の離婚の日付が入っていたはず。
充は婚姻届に自分で署名してるはずです。
同じ紙に、咲子が「再婚」にチェックして離婚年月日を書いた欄があるのを見なかったのでしょうか?
咲子は先に充に書かせて、あとから自分が書いて、充に見せないようにしたとか、咲子1人で提出したとか、そういう事情かもしれません。
調べたら、婚姻届は離婚歴の欄が空欄でも受理されるみたいです。そもそも咲子が書かなかったのかな。
しかし咲子の離婚歴は戸籍には乗るはず、充は戸籍謄本などを1度も見なかったことになります。ローンとかパスポートとか、いろんな手続きは全部咲子がやってたのかもしれませんね。
結局、咲子の傷は消化されていない
咲子が充に1年間失踪されて負った傷。これはまだ癒えていないのだと思います。
咲子は過干渉の母親に育てられたこともあり、家族に執着しています。
だから、咲子は樹生に結婚は感情の問題ではない。とすごくドライなことを言います。
そして咲子は失踪された傷を自分で見てみぬフリして、充との結婚生活に執着しようとします。
自分の感情を騙して夫婦生活を続けようとしているようです。それでは上手くいくはずありません。結果、充に別れを告げることになってしまいます。
『Tシャツが乾くまで』9話の解説まとめ動画、愛の渇きとの関連
まさかの咲子がバツ4という、衝撃というより明後日の方向へ行ってしまいました。Tシャツが乾くまで、第9話の納得できる部分、納得できない部分を忖度なしで正直に書いていきます。
毎日、乾燥フィルターをせっせと掃除している健気な皆さん。いかがお過ごしでしょうか。どうも、シネマグです。私もドラマを見て、つい最近ドラム式洗濯乾燥機買いました。
いや〜まずは9話の正直な感想です。咲子がバツ4だったという後出しのはちゃめちゃ展開。バツ4が問題というより、咲子がバツ4ということに説得力がないのが問題だと思います。物語としても、俯瞰すれば、頭の中であれこれ考えれば、一応の行動原理や、このドラマが何を伝えたいかはわかる。
でも、登場人物に全く共感できないし、人間の意外な側面を提示しているものの、シリアスさも全くないので見ていて感情がついていかない。あくまで私の個人的な感想ですけどね。一応はドラマをまだ楽しめてはいますが、面白い!から興味深い!に変わってしまいました。
樹生以外に共感できる人物がいない。というのが正直なところです。咲子、充、樹生、あずさの4人の主要人物のうち、樹生以外の3人が特殊なパターンですからね。
ドラマも、最初は、夫をバス事故で失ったかもしれない咲子と、妻を失った樹生が同じ境遇で、葛藤がありながらも距離を縮めていく非常にシリアスな話でした。
しかし、充が戻ってきてから樹生が蚊帳の外になり、特殊な事情を抱える者が幸せになれるのか?という充視点の物語になった。
そして9話では、咲子も離婚4度の特殊ケースだということが発覚。シリアスなヒューマンドラマかと思ったら、信頼できない語り手の要素を入れてきて、視聴者が感情移入できる土台がついに崩壊してしまいました。ある意味、画期的ですけど。
さらに咲子と樹生の関係が宙ぶらりんのままテーマが入れ替わっているんですよね。私はここがかなり気になりますし、視聴者の不満が続出している根幹だと思います。最初のテーマがブツ切りされた状態で違うドラマになってる。
最終回で咲子と樹生の関係が上手く回収されるとは思いますけど、どうなるか不安ですね。
加えて、咲子がバツ4の特殊ケースだとわかったことで、充が1年間失踪した重みが帳消しかのように見えてしまってます。
咲子自身がバツ4を隠していた後ろめたさはあるにせよ、1年間の失踪と天秤にかけてはいけないだろと思いました。
いや〜、なんか大変なドラマになってきましたが、ここからは、一旦ドラマを俯瞰して、9話が何を伝えたかったのか、手段と目的の取り違え、愛の渇きとも関連させながら、ポイントを徹底分析していきます。
まず、咲子と充の手段と目的の逆転について。
本来なら、一緒にいて幸せだから、普段の生活でお互いに努力する。この順番だと思います。幸せが目的で、家族でいることがその手段、ということ。
でも第9話の咲子と充はこの手段と目的が逆転してしまっています。家族でいることが目的になり、幸せとは何かを見失ってしまっている。充が気を遣って米の炊き方をいちいち咲子に訪ねているように、息苦しくなってしまっている。それで夫婦関係が上手くいくわけありません。洗濯乾燥機の乾燥フィルターもたまらず壊れました。
同時に咲子の好きな人フィルターも壊れてしまったようで、充に離婚を切り出しています。
この手段と目的の反転に、咲子のような仕事もできて友達もいて、夫を愛する人がなぜ4回もフラれたのかの答えがあります。
これまでは、咲子の愛が目的ではなく手段だと相手に見破られてしまったからでしょう。過干渉の親に育てられた咲子は、もしかすると家族の愛についてよくわかっていないのかもしれません。わからないからこそ、家族という言葉、家族という理想に執着する。その結果、結婚相手が家族という理想を達成するための道具・手段になってしまった。切ないですね。
ただ、咲子と充のように手段と目的が入れ替わってしまうことは往々にしてあります。自分と相手の関係が、人生の目的ではなく生活のための手段だという夫婦は世の中にたくさんいるでしょうし、結婚当初はパートナーの存在自体が目的であり幸せであっても、年数を重ねるごとに目的と手段が入れ替わっていくパターンも多いでしょう。
そういう意味で、咲子のキャラクターによって、別の角度から夫婦の本質をえぐり出すことに成功しているとも言えます。
そして、咲子と充は似たもの同士です。充は2、3年に1度、突発的に失踪。咲子も、2、3年スパンで結婚と離婚を繰り返しています。不謹慎な言い方をすれば、充は人を捨てるプロ、咲子は捨てられるプロです。
本来、捨てるプロと捨てられるプロが一緒にいられるはずがありません。一瞬で失踪されて終わりなはずです。でも10年間一緒にいられた。咲子と充が10年以上一緒にいられたのは、お互いの性格を乗り越えたある意味で奇跡、そういう見方もできます。
失踪癖と、家族への執着を乗り越えられる愛が確かにあったのでしょう。
咲子と充は、お互いに親の育て方に問題があり、家族の愛についてよくわかっていなさそうな点も共通しています。お互い、自分が知らないものを求めて結婚した。そんな切なさがあります。
あとは、第9話で咲子が充に別れを切り出しましたが、すごい皮肉だなと思ったのは、お互いに秘密を共有して夫婦生活をreスタートさせた瞬間に関係が崩壊したこと。
私も皆さんもこれまで散々、充が失踪癖のことを咲子に話していたらよかったのに…と思ったことでしょう。でも、充が失踪癖を付き合った時点で咲子に話していたら、咲子が4回の離婚歴のことを話していたら、充はもっと早く失踪したかもしれません。
捨てるプロと捨てられるプロが幸せに暮らしたかけがえのない10年はなかったかもしれません。
秘密を共有したり、相談したりすればどうにかなるものでもない。秘密の共有で好きな人フィルターが壊れることもある。
外野の話せばいい、相談すればいいという正論で人間関係が崩壊することもある。そんな切ないメッセージが受け取れました。
また咲子は、充の失踪癖を知って、いつまた捨てられるかわからない状態ですよね。充の失踪癖については、自分が苦しくなる前に先にすべてを捨ててしまう心理があるのでは?と前に書きましたが、今回の咲子にもそういう側面があると思います。咲子も捨てられる前に捨てることを決心したのかもしれません。
次は、三島由紀夫の小説・愛の渇きとの関連についてです。9話の咲子の秘密や行動を見ていると、Tシャツが乾くまでと、小説・愛の渇きが本当の意味でシンクロしてきます。
咲子は家族という関係性に執着しています。いっぽうで、小説の主人公・悦子は自分なりの愛と幸福に執着している。執着という言葉がキーワードです。
咲子も悦子もお互いに、自分がこしらえた理想に執着し、本来の意味を見失って失敗しているように見えます。これも手段と目的を取り違えですね。
ここからは愛の渇きのネタバレが入りますので、小説を読んでみたい方はご注意ください。
愛の渇きのあらすじは、夫を亡くした主人公・悦子が義父の弥吉の家に身を寄せて彼と肉体関係を持ちつつ、その上でお手伝いをしている若い庭師・三郎に激しい恋と嫉妬を燃え上がらせるというもの。最終的に悦子は最悪の選択をして物語が終了。
まず、愛の渇きも主人公の悦子からして共感できない物語なんですよね。さんざん不倫しまくった夫が病死。なぜか夫の父親・弥吉と愛人関係になり、彼の家へ住む。
悦子は自分で自分を罰しているようでいて、愛のない弥吉には嫉妬しないから楽である、そんな必然もあるような印象です。二重性がある人物です。
で、悦子はその家の庭師の三郎への愛を燃やし。三郎と肉体関係のある美代に激しい嫉妬を燃やします。
小説全体としては、幸福という言葉を分解して主人公・悦子の考える通りに再構築する過程をまざまざと見せつけられる印象です。
それと照らし合わせると、咲子も自分なりに家族という言葉を分解して、自分なりに再構築して、それが上手くいっていないと葛藤している印象。
小説とドラマで共通しているのは、幸福とは、家族とはこうあるべきだ!という概念ばかりが先行して、中身がついてこないということ。自分が幸せと感じるから行動しているわけではないんですよね。手段と目的の逆転が起こっています。
悦子の場合は、自分の中にある渇きを持続させたかったから庭師の三郎に恋をしたのでしょう。だからだから三郎が「奥様(悦子)を愛してます」と気を遣って適当に答えた瞬間、悦子は激怒して彼を殺害します。答えが返ってきたら渇きが終わってしまうから。
第9話の咲子と充の関係もこれに似ている部分があります。咲子に気を遣ってご飯が早だきがいいか?など、いちいち聞いてくる充が三郎に見えます。咲子は自分の理想の家族像と違う!と自覚して葛藤し、乾燥フィルターも好きな人フィルターも壊れる。
小説でもドラマでも、ヒロインが主導権を握っていたと思われた幸福が、相手の気遣いによって崩壊する過程が描かれています。
最終回で咲子が充を殺害するなんていう結末はやめてほしいです。少なくとも、咲子は充に関しては本当に好きで、5回目の結婚をしているわけですから、これまでの手段と目的を取り違えたような結婚とは違うわけですから、一縷の希望はほしいですね。
充が事故に遭って死亡とかの結末も想像してしまいますが、それもなんかいやですよね。最終回どうなるんでしょう。
最後は、咲子のキャラクターの矛盾について
咲子の性格・パーソナリティといつもフラれる側だったことについては、だいぶ矛盾が見られる気がします。
咲子が性格の部分についてもまだ何か隠しているなら別ですが、仕事もできて、友達もいて、いつも笑顔で…9話まで描かれてきた咲子像はこんな感じ。
これまでの結婚生活では、咲子が理想の家族像を押し付けてきたから男性側が息苦しくなって、離婚してと言われたのだと思いますが、咲子の押し付ける感じが果たして離婚まで繋がるか?という疑問が湧きます。
夫婦ってもっと微妙な問題をたくさん抱えているもの。咲子の性格は小さなこととして片付けられそうですが。
あとはドラマの構成についてですね。感想の前半で、話せばいい、相談すればいいという正論によって人間関係が崩壊することもある。そんなテーマがあると書きました。
要は他の夫婦の事情に口を挟むなっていうのはそうですが、他人事に口を挟むなというのは冷たさの裏返しでもあります。例えば、政治でもレストランのクチコミでもなんでもそうですが、事情に精通していない人が参加することで初めて社会が成り立つわけです。
つまり、社会はその人がその人なりの解釈をして、自分の好きなものフィルターを通して好きに発信しているからこそ成り立っている側面があるということ。
Tシャツが乾くまでは、その人のことは、その夫婦の本当のところは他人にはわからない。みんな自分のフィルターでモノを見過ぎだ!という正論をテーマにしていますが、視聴者のフィルターで好きに解釈、好きに感情移入できる余地をある程度は残した方が、ドラマ的にも楽しいし、実社会的に沿ってもいます。
何が言いたいかというと、Tシャツが乾くまでは民放ドラマのフォーマットと少し相性が悪いことをしているというか、あくまで見方によってはですが心情吐露がたくさんできる小説でやったほうが良いことをドラマでやってしまっている気もしますね。主人公の咲子に感情移入してたら完全に裏切られましたしね(笑)。
いろいろ書きましたが、来週の10話で最終回。予想を超えた素晴らしい結末になることを期待しています。
Tシャツが乾くまで 過去話の考察と解説↓










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