映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を鑑賞。アレックス・ガーランド監督が戦場ジャーナリストの視点からアメリカで勃発した内戦を描く。
戦闘シーンの臨場感が凄まじく、「何を伝えたいのか?」のメッセージ性なども含めてリアリティがあり怖かった。そのあたりを解説していく。
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』あらすじ
アメリカではカリフォルニア州とテキサス州が独立軍を結成し、ワシントンD.C.を中心とする政府軍と各地で戦いを繰り広げていた。
戦場カメラマンのリー・スミス(キルスティン・ダンスト)は、過激な戦闘シーンをシャッターに収めていた。ジャーナリストは戦闘員とは区別され、兵士たちに守られるが、危険なことには変わりはない。デモに巻き込まれて殴られた1人の若いカメラマン・ジェシーの姿が目に留まる。リーはジェシーを助けた。そのすぐ横が爆撃され、死体が散らばる。リーは死体の写真を撮り続けた。
リーは同僚のジョエルや同業者のサミーと一緒にワシントンD.C.へ行き、大統領へのインタビューを行うことに決める。車で千数百キロの旅だ。リーは反対するが、ジェシーも一緒についていくことになる。
ジェシーは行く先々で危険な場面に出会うが、冷徹にシャッターを切り続けることを学んでいくのだった…。
ネタバレ感想:戦場ジャーナリストの難しさ
銃声が轟音すぎて緊張感が半端なかった。映画とはいえ、こんな風にして戦争で人が死んでしまうんだという没入感がすごい。
内戦になった理由は説明されていないが、これはアメリカという国が他国で戦争を繰り返し、ついには戦争自体を目的して自国で内戦を始めたという皮肉を表現している。理由は重要ではなく、戦争を続けて身を滅ぼす愚かさを描いているのだ。
また本作ではジャーナリストの苦悩もヴィヴィッドに映し出されていた。
ジャーナリストは非戦闘員なので基本的に戦闘しているどちらの側にもくみしない。だからこそ保護される。しかし裏を返せば死にそうな人がいても助けずにシャッターを切り続けなければならない。助ければ、どちらかに加担すればその敵側に殺されるし、報道の中立も保てない。しかし助けなければ非人間的だと揶揄される。熟練のリーと若いジェシーの対比によってそのジレンマが強烈に描き出されていた。
戦場ジャーナリストは必要だが、キルスティン・ダンスト演じるリーのようにどこか人間性が崩壊していくのは避けられないのかもしれない。
最後には結局、ジェシーの人間性は戦場でシャッターを押す興奮によって崩壊してしまったようにも見える。ジャーナリズムの本質と悲哀を兼ね備えた秀逸な結末だった。
次のページでは闇落ちのような状態になったジェシーやラストのリーの行動原理について考察&「本作が何を伝えたかったのか」解説していく↓↓
コメント