
映画『箱の中の羊』(はこのなかのひつじ/Sheep in the Box)を鑑賞。
箱の中の羊は、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの児童小説『星の王子さま』に登場するもの。小説の内容からそのモチーフを紐解いていく。
- タイトルの意味
- 劇中で明かされなかった失踪事件の真相や誘拐犯の正体
- 意味不明で難解なテーマ
- 『怪物』との繋がり
これらを徹底考察していきます!

映画『箱の中の羊』考察まとめ
是枝監督が見せた新たな“家族”映画
映画は時代を経て鑑賞するものから体験するものへ変化していったと言われている。本作もAIヒューマノイド家族との生活を追体験させられる是枝監督の新たな家族映画だった。
死んだ息子と瓜二つのヒューマノイドと家族になれるのか。やや抽象的なラスト結末も含めて、終始観客にその質問を問いかけている作品だと感じた。
『誰も知らない』『そして、父になる』『万引き家族』『ベイビーブローカー』で描いてきた様々な家族の形。本作ではAI・ヒューマノイドでも家族になれるのか?と終始問いかけられていた。
一貫してあるのは、血縁がなくとも目に見えないつながりがあれば家族であるというメッセージ。それが本作では“人間でなくとも”という究極の形として描かれていた。
さらに『箱の中の羊』では、音々と健介の家族になったヒューマノイドの翔が、新たな家族を作るまでが描かれる。
新たな家族の形から、次の新たな家族へと繋がる点も是枝監督の過去作と比較して斬新だった。
タイトル『箱の中の羊』の意味
映画において、タイトル『箱の中の羊』についてはいろんな解釈ができると思う。いくつかの意味を書いてみた。
箱の中の羊は最初は、ヒューマノイドの翔(かける)のことかと考えた。絵には箱しか見えないけど、そこにいると信じれば、翔(羊)がいる。
また星の王子さまのストーリーでは、箱の中の羊は、王子が大切にしているバラの花を食べてしまうかもしれない存在でもある。
ヒューマノイドの翔は、バラの花(死んだ本物の翔の思い出)を食べてしまう羊だと、音々と健介は無意識のうちに考えていたと思う。ロボットで死者の人生を再開させてしまったら、生前の思い出も上書きされてしまう。そんな思いがあっただろう。
しかし実際には、音々と健介はロボットの翔を生きていた翔とは別人として見ることができるようになり、別人だとしても大切な存在になっていった。このことから、翔は箱の中の羊ではない。
最終的には、音々(綾瀬はるか)が「箱の中の羊は自分だった」と気づく。音々が箱の中に囚われているという意味。さらに「星の王子さま」から考えると、箱の中にある自分の心を見れなかった。想像的なかったという意味につながる。音々は自分の心に気づけなかったのだ。
音々が自分の心が見えなければ、生きていた翔との思い出も消えてしまう。羊(音々)がバラの花(翔との思い出)を食べてしまうように。
また、箱の中の羊=私たち大人というメッセージも込められていると考える。
大人は子供の心が想像できず、それを食べてしまう。
ヒューマノイドの翔に冷たくした音々や健介、生きていた翔に「うちの子じゃない」と言ってしまった音々。幼い音々に「あなたの母親じゃない」と言った母・信代…みんな子供心(バラの花)を喰っている。
児童誘拐の犯人は誰?翔の死因、親の子殺しのテーマ
健介が翔を水族館に連れて行った際に、掲示板に「探しています」と数名の児童の写真があった。このことから失踪事件は実際にあった。
ニュースで出ていた鉄太くんは、翔の先輩ヒューマノイドが誘拐した。鉄太が親から酷いDVを受けていたからだ。
また、廃校の体育館でヒューマノイドの子供たちが音々に虐待の跡を見せる。
よって、誘拐された他の児童たちも実は親からDVを受けており、翔たちとは違うヒューマノイドグループに保護された可能性がある。
本物の翔については、実際に電車の事故や殺人だった可能性もある。
翔は知らない人から「電車を見に行こう」と誘われたらしい。
是枝監督の過去作『怪物』(2023)との繋がりで考えると、ヒューマノイドの今野詩季(依里を演じた柊木陽太さんが演じる)が翔を連れ出して救った(実際には殺した)のかもしれない。理由は、翔が母・音々に酷い言葉を言われて落ち込んでいるのを悟ったから。
詩季は自分がヒューマノイドとして生まれ変わった経験で死者の魂がヒューマノイドに宿ると気づき、落ち込んでいる子供を救って(殺して)ヒューマノイドにしている可能性もある。
怪物では依里と湊が電車を秘密基地にしていた。のちの項目でも解説するが、詩季が翔を殺した=依里が翔をヒューマノイドの世界へ連れ去ったとも取れる。
親の子殺しのテーマ
他の説としては、親が子供たちを殺して、失踪したことにしているのだろう。
これは実際に親が子供を殺している可能性もあるが、どちらかというと親の言葉によって殺された子供の心のメタファーとして失踪事件があると考える。
親の子殺しのテーマがある。
親が自分の子供の心を殺していることを、児童の失踪が増えていると表現したのでは。
星の王子さま的にいうと、大人たちに子供心が殺されて星に帰ってしまったと読めるだろう。
音々たち親が酷いことを子供に言ったことで、子供心が死んでしまったメタ的な表現かもしれない。
『怪物』がメタ的・抽象的なラストだったことにもつながるが、敢えて翔の具体的な死因を明示しなかったように感じた。
また音々は、翔の生前の情報を選りすぐってロボット会社に渡し、完璧な翔(ヒューマノイド)を作り上げた。
これも羊が死んだ翔の心(バラ)を食べてしまう行為に相当する。つまり翔の心をバラバラに壊して思い通りに作り変えた。
翔や他のヒューマノイドの子供たちは、親に魂を所有されないために広島へ脱出(エクソダス)したのだろう。
そこから話を広げると、AIには心がないと決めつけてしまうことと、子供の考えに意味がないと決めつけて否定してしまうことは同じ…という怖いテーマが誘拐事件に隠されている。
ヒューマノイドの翔に魂が入っているのか?
霊的なパワーが強いとされる猫・オセロがAIヒューマノイドたちと一緒に暮らしていたことから、彼らロボットたちに確かに魂が宿っていたと推測できる。
ヒューマノイドの翔は完全には本物の翔ではないが、翔の魂が一部入っている。そんな両儀的(2つの意味)な状態だったのではないだろうか。
木と木が見えないエネルギーで繋がり合うように、同じ格好をした翔とヒューマノイドは確かに繋がっていたと考えられる。
また星の王子さまには、星が綺麗なのは、数多の星のどれかに王子さまがいて、バラが咲いているから。砂漠が美しいのはどこかに井戸があるから…という有名な言葉がある。
そう考えると、ヒューマノイドの翔に魂が入っているのか?という問い自体が間違いで、音々や健介が魂を感じた時点で魂があると断言できるものなのだろう。
さらに、音々と健介が翔の木の家の設計図を見てどうしようか悩んでいたときに、翔も一緒に悩んでいた。音々は人間は悩んでから答えを出したいものと言っていたが、その定義なら翔にも人間の心が宿っていることになる。
ラストの意味:なぜトチの木を家にした?
翔たちヒューマノイドはトチの木に家を作ることを決める。理由は、翔が昭男(材木職人/田中民)から「この檜は樹齢300年で、木の破片から時間が聞こえる」と言われたからだろう。
翔には自我があるようだが、自分が命や魂を持っているのか確信が持てていない。そこで1000年以上の樹齢を持つトチの木と一緒に長く過ごし、木と一体となることで、命や魂を感じようとしたのだと思う。
また、音々が「木とガラスという異なる材質のものを組み合わせるのが建築の醍醐味」的なことを言っていたが、この映画のテーマが、異なる2つのものの融合なのだと思う。
AIヒューマノイドが樹齢1000年のトチの木と一緒になること。最新テクノロジーと最古の自然が融合できる。人間とAIも良い形で共生できるとのメッセージが込められていたように感じられた。
ラストシーン:音々が木を振り返った理由2つ
ラストシーンは、音々がトチの木を振り返って微笑む。2つの意味がある。
1つ目は、親を捨てて自分を守った翔たちの新たな出発を祝うもの。子供に捨てられた親が見せる健全な微笑みだ。子供の成長を祝う想いがあるのだろう。
音々についていえば、翔の死を心の底から受け入れられた瞬間だった。最愛の息子の死が意味するものは喪失だけではなかった…そんな救いを感じる場面だった
2つ目は、ヒューマノイドたちの中に少女時代の自分の影を見たから。
音々は母親・信代から酷いことを言われて傷つき、遠足のときに見た大きなトチの木に家を作って家出する妄想をし、それを絵にした。
最後には音々自身の子供時代も救われた。
自然→人類→ヒューマノイド→自然のサイクル
人類はかつて自然と共生していた。しかし、現代人は自然に触れることはあっても共生していると言えない人がほとんどだろう。しかし翔たちヒューマノイドは自然との共生を選んだ。
人類からAIヒューマノイドという新たな生命体が生まれ、自然と共生する道を選んだという広い意味での命のサイクルが表現されていた。
ヒューマノイドという自然を超越した存在が自然に溶け込むという逆説である。
ヒューマノイドは小川の電力で充電するだけで自給自足できる。是非はおいておいて、新たな命の形といえるかもしれない。
ヒューマノイドが到達した死者の世界、『怪物』との繋がり
※映画『怪物』(2023)のネタバレがあります。
『箱の中の羊』で翔たちヒューマノイドが広島の山奥で自立して暮らすラストは、『怪物』(2023)で湊と依里が違う世界へ行ったエンディングと通底する。
『怪物』で依里を演じた柊木陽太さんがヒューマノイドのリーダー・今野詩季としてみんなを扇動したことからも、作品同士の繋がりが垣間見える。
『怪物』のラストシーンは依里と湊は違う世界へ行ったという抽象的な感じだったが、死んだ依里がヒューマノイドとして生まれ変わった…そんな裏話が込められているのかもしれない。
是枝監督は『誰も知らない』や『そして、父になる』で子供の葛藤や苦しみをヴィヴィッドに表現してきた。その苦しみの受け皿として、子供だけの世界が描かれたと感じた。
加えて、本作ではAIヒューマノイドも親たちの都合でDVを受けたり捨てられたりする弱い存在として描かれている。
虐げられる子供と虐げられるAI。是枝監督が2つの弱者を拾い、統合させたのが翔だった。
AIやロボットが虐げられる未来をサラッと描いているのが素晴らしい。
音々の母・信代が翔に「死者が帰ってくるのは1年に1度(お盆)で十分」と言っていた。
これはヒューマノイドが人間が行けない死者の世界に踏み込んだことを意味している。
人間こそが神に1番近い至高の存在であるという西洋の考え方を崩すような最後だった。
AIヒューマノイドが人間を捨てて、先に出エジプト(旧約聖書のモーセのエジプト脱出)したような結末だった。
実話がもと!
映画の元ネタが面白くて、是枝監督が読んだ南京のスタートアップ「Super Brain」の記事。
創業者の張澤偉は、遺族向けに1000件以上の「デジタル復活」を手がけたと語っている。是枝監督は2024年秋に北京で本人に会い、サービスのデモを見て衝撃を受けたらしい。
フィクションの皮をかぶってるけど、現実が基になっている話!
箱の中の羊:感想と海外評価
『箱の中の羊』物語の詳しいあらすじネタバレ解説はこちら↓

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是枝裕和監督作品の解説↓







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