
映画『プラダを着た悪魔2』(The Devil Wears Prada 2)を鑑賞!
20年越しの続編、『プラダを着た悪魔2』。前作がファッション業界の眩しい黄金期を切り取った映画なら、本作はその黄金が冷えていく現場を撮った映画だった。
エンタメとしては90〜100点に近い出来だったと思う。キャラクターが紡ぐ皮肉に満ちた会話に何度も笑ってしまった。
いっぽうテーマは現実的で渋く、雑誌の縮小、メディアの縮小、AIによる仕事の縮小。きらびやかな衣装の裏で、登場人物たちはずっと「沈みかけの船」の話をしている。
ここではまず本作のあらすじと結末を整理し、そのあとで観終わったあとに残る違和感——この映画が訴えていることと、この映画の売られ方は、実は逆方向を向いている——という外側の話をしたい。
『プラダを着た悪魔2』あらすじ・ネタバレ結末
物語はジャーナリストたちが集う授賞式の舞台から始まる。アンディ(アン・ハサウェイ)は独立系新聞ニューヨーク・ヴァンガードの調査報道記者として賞を受け取ろうとしているその瞬間、テーブルにいた同僚全員に一斉メールが届く。「あなたは解雇されました」。スピーチ中の本人も含めて、新聞社ごと消えた。
一方ランウェイ。ミランダ(メリル・ストリープ)はまだ編集長の座にいるが、9月号は前ほど分厚くなく、会議で飛び交うのは「クチュール(仕立て、裁縫)」ではなく「コンテンツ」「PV」「エンゲージメント」。さらにファストファッション・ブランドの劣悪工場スキャンダルでランウェイが誤って広告を打ってしまい、ブランド価値が傷ついている。
そこにアンディが特集編集者としてランウェイに呼び戻される。親会社の会長アーヴがアンディをランウェイの信頼回復に利用し、記事を書かせようと思い立ったためだ。
ミランダはアンディと再会するが、忘れているふりをして冷たい態度を取る。20年前と変わっていない。
エミリー(エミリー・ブラント)はもうランウェイにいない。Diorの広告担当役員になっていて、今や雑誌側にお金をスポンサーとして登場する。
ミランダをグローバル統括責任者に任命しようとしていた親会社の会長アーヴが亡くなり、ジャージばかり着ている息子ジェイ(B.J.ノヴァク)が後を継いだ。
ジェイはアイビーリーグ出身のコンサルチームを引き連れてランウェイにやってきた。そしてコスト削減を始める。ミランダは社内食堂の存在を初めて知り、ハイヤーは廃止、ミラノ出張ではエコノミー席に押し込められる(本作屈指の名シーン)。
アンディは女性起業家サシャ・バーンズ(ルーシー・リュー)の独占インタビューを取り付ける。サシャはテック富豪の元夫ベンジー・バーンズ(ジャスティン・セロー)と離婚し、莫大な資産を女性支援に投じようとしており、ランウェイの愛読者だった。
ベンジーは典型的な現代テック・オリガルヒ(寡頭資本家)として戯画化されている。コモ湖畔の豪邸でだらしなく寝そべり、「最近は水を断ってる、水分赤字で生きるトレーニング中」とテック億万長者の不老不死信仰を笑い飛ばすセリフを吐く。
ベンジーはランウェイの親会社ごと買収し、雑誌を新しい恋人=エミリーへのおもちゃにしようとしている。
ミラノでクライマックスを迎える。ファッションショー、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の前で開かれる豪奢なパーティー、そしてランウェイをめぐる買収争奪戦。
アンディは会社を継いだジェイから雑誌やミランダを守るため、エミリーを通じて富豪・ベンジーにランウェイを買収させる計画を立てる。
しかし、実はエミリーはミランダを引き摺り下ろし、自分が編集長になろうとしていた。
最終的にミランダとアンディは協力し、実業家のサシャ・バーンズにジェイが持つ親会社ごと買い取ってもらい、ランウェイを今まで通り運営させる、という決着を取り付ける。
「悪いお金持ち」より「マシなお金持ち」を選んだ結末だ。
ラストシーン。ミランダ、ナイジェル、アンディが同じ規模のオフィスで並んで仕事をしている。ヒエラルキーの頂点に君臨する編集長というかつての構図は、もうない。アンディはジャーナリズムの世界(ヴァンガード)からは追い出され、ファッション雑誌に踏みとどまる道を選んだ。
しかし、構造的な縮小は止まっていない。ロサンゼルス・タイムズの評者が書いていたように、ジャーナリズムでシンデレラ・ストーリーが成立する時代はもう終わっている。アンディの選択は、勝利でも敗北でもなく、消耗しきった末の戦略的撤退にも見える。
『プラダを着た悪魔2』が抱える致命的な自己矛盾
本作の表面的な主張はこうだ「真面目なジャーナリズムは大事だ。雑誌文化は守られるべきだ。テック富豪に食い荒らされるのは我慢ならない」。
アンディは劇中で唯一許されたFワード入りの台詞を絶叫する。「ジャーナリズムは未だに重要なんだ!」
しかし、この映画、この叫びを真顔で観るのは難しい。理由は二つある。
① 群衆シーンを「ジャーナリストの仕事を奪った張本人たち」で埋めている
劇中のパーティー、ファッションショー、社交場——カメラが人ごみを舐めるたびに映るのは、現役のインフルエンサーやSNSセレブたちだ。
アメリカの批評サイトSlashFilmがそれを鋭く指摘している。
この映画は「雑誌記者を救え!」と叫びながら、雑誌記者の仕事を奪った当人たちでスクリーンを埋めている。
② 配給するディズニー自身が、批評家より先にインフルエンサーにマイクを渡している
これがもっと深い話。
最近のハリウッドの宣伝には、ある業界標準ができている。映画を公開する直前、まず仲のいいインフルエンサーやファン系YouTuberに先に試写を見せて、SNSで好意的な感想を流させる。プロの映画批評家には、ぎりぎりまで試写を見せない。
一般の観客が「もう観た人たちが絶賛してる」というSNSの空気を浴びてから劇場に行くように、世論の入り口を仕込む方法だ。日本でも同じことが映画レビューサイトの試写会という形で行われている。
ハリウッド・リポーター誌は、本作の配給元ディズニーがまさにこの戦略を取ったと書いている。これはディズニーだけの問題ではなく、いまや業界の標準になった——プロの記者が真面目に書いた評は、SNSの熱狂が終わった頃に出てくる、二番手のメディアになっている。
つまり整理すると、こうだ。
「真面目な記者を大切にしよう。伝統と美徳を大切にしよう」と訴える映画が、真面目でキャリアのある記者を後回しにしてインフルエンサーを優先する宣伝のやり方で売られている。
映画のメッセージと、映画の売り方が真逆なのが大きな皮肉である。
③ 良い金持ちというファンタジー
イギリスのBritbrief誌が容赦ない指摘をしている。
劇中では、悪いテック富豪ベンジーと、良い慈善家サシャは離婚して敵対している。「悪い金持ちvs良い金持ち」の対立構図だ。
しかし現実では——Vogue編集長アナ・ウィンター(ミランダの実在モデル)は、今年のMet Galaのスポンサーにアマゾン創業者ジェフ・ベゾスとローレン・サンチェス・ベゾス夫妻を引き入れた。
ファッション・ジャーナリズムの頂点とテック・オリガルヒは、もうとっくに同じテーブルでシャンパンを飲んでいる。これはううっとなる現実。
劇中のラストでミランダたちは「悪い金持ちから、良い金持ちへ」と必死で買収先を選び直す。だが現実のミランダは、すでに「悪い金持ち」と握手している。
映画が描く対立構造は、現実ではすでに統合済みで、本作のラストの希望はある面では時代遅れなのかもしれない。
この映画の本当の見どころ
本作はテーマと売り方の矛盾を抱えたまま、それでも誠実に作られた映画だ。
問題提起は本気だ。アンディの絶叫は本気だ。ミランダのエコノミー席のしかめ面は本気だ。けれど、その本気の叫びを届ける配給システム自体が、叫びの内容と矛盾している——という構造を、観客は無視できない。
派手さや煌びやかさでは前作に勝てない。しかし外側を含めた構造的な深みでは皮肉にも前作を超えている。
前作が「夢を選ぶ」物語なら、本作は「沈みかけの船で、どう踏みとどまるか」の物語だ。船はもう傾いている。船を作った人たちが船員に「船を守れ」と叫んでいる。船を撮影しているスタッフは、別の船から脱出してきた人たちだ。
それでも誰かが、その船で記事を書き、雑誌を守ろうとしている。本作のラストは、その「それでも」の重さを描いているように見えた。

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