「映画の考察は好きじゃない!」という矛盾

「映画の考察は好きじゃない」という意見をよく耳にする。

それは別に好き嫌いなのでどう発信しようがいいのだけど、ひとつだけ言いたい。

「そういう君が発信した映画の感想には、考察がたくさんふくまれているぞ。」

考察は広義の意味では、“よく調べてよく考えること”

なかなかフワッとしており、人によって定義が違う。

感想と考察がキッパリわけられないこともある

例えばマーベルの『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』を見て、人種差別の負の歴史の解消や、ジェンダー平等のテーマを感じて発信したなら、それも考察に含まれるだろう。

映画を見て、その監督に関しての情報から作品を位置づけるのも考察だろう。

自称「考察が嫌い」という人たちは、おそらく「突飛な考察が嫌い」ということを言いたいのだと思う。だったらそう言った方がいい。

考察についての定義を曖昧にしたまま「考察は嫌い」と言いつつ、結構な考察を含んだ感想文を発信されると、「魚介類は嫌いだけど寿司はめっちゃ食う」くらいの違和感がある…というお話。

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