自主制作ながら異例のヒットを記録している映画『侍タイムスリッパー』(A SAMURAI IN TIME)を鑑賞。
劇場鑑賞しなかったことを後悔するレベルの神作だった。笑いと哀愁が同時に押し寄せてきて感情が渋滞。駄作も多い近年の邦画界に希望を持てた。
- あらすじ
- ネタバレありのラスト結末解説
- 忖度なしの感想
- 徹底考察:2つの時代を同時に生きるメタ構造
これらを徹底解説していきます!
映画『侍タイムスリッパー』あらすじ
製作費が2600万円のインディーズながら、ロングラン上映で興行成績は10億円を超えた。第48回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞。
キャスト↓
高坂新左衛門|cast 山口馬木也
風見恭一郎|cast 冨家ノリマサ
山本優子|cast 沙倉ゆうの
西経寺の住職|cast 福田善晴
住職の妻・節子|cast 紅萬子
殺陣師の関本|cast 峰蘭太郎
山形彦九郎|cast 庄野﨑謙
斬られ役の安藤|cast 安藤彰則
心配無用ノ介|cast 田村ツトム
村田左之助|cast 高寺裕司
ネタバレなしの感想
近年の邦画では是枝裕和監督の『怪物』(2023)に並ぶ傑作だったと個人的に思う。比較されている『カメラを止めるな!』よりもクオリティ高いと感じた。
主人公・高坂新左衛門はタイムスリップして現代の生活に馴染みながらも、心の奥底には自分がいた幕末の時代がある。そのため全部のシーンが笑えるけど悲しいダブルミーニングになっていてストーリーや感情に奥行きがあった。
コメディだけど日本人のアイデンティティに訴える点も素晴らしい。ラストは涙なしには見れない。絶対見るべき傑作!
『侍タイムスリッパー』ネタバレ・ラスト結末
「本物の侍のような迫真の斬られ役だ」と話題になり、高坂の仕事は増えていく。
そんなある日、大御所時代劇役者の風見恭一郎が新作映画『最後の侍』を撮ることになり、高坂に相手役の準主役になってくれとオファーが来た。高坂は風見に会って驚いた。なんと風見の正体は高坂と決闘した山形彦九郎だった。高坂と戦っていた風見は雷を受け、今から30年前にタイムスリップしてきたという。
風見も時代劇の斬られ役からキャリアをスタートさせ、そこから成り上がった。
風見は「昔は俺の方が若かったのに今は年上になってしまった」と笑う。高坂は幕府が倒れるきっかけになった長州藩に属していた風見への怒りが消えずオファーを断ろうとした。しかし優子や関本に説得されて『最後の侍』への出演を渋々承諾する。
撮影は順調に進み、飲み会に出席した高坂。脚本の追加シーンを読むと、会津藩が新幕府軍に殲滅させられた実話をもとにした残酷な描写が加えられていた。高坂は涙を流し、自分はここで何をやっているのかとの想いに駆られた。
酔っ払って道で不良にボコボコにされた高坂。高坂はそのあとで監督や風見と会って「最後の殺陣のシーンを真剣を使って撮りたい」と言う。
優子は危険だと猛反対したが、風見は涙を浮かべて「本物の侍の姿をこの時代劇の中に残したい」と了承。監督も「最高の時代劇を撮る」と意気込んだ。
ついにラストシーン。高坂と風見は真剣を抜き、カメラの前で事前の決められた手順とは違う本気の決闘を始める。監督はカメラを止めなかった。しばらく攻防が続き、高坂の剣が風見の剣をはたき落とした。風見は「打て!」と叫んだ。高坂は剣を振り下ろす。しかし斬らなかった。
映画は大評判になった。高坂は前向きに斬られ役を続けていた。優子に告白したかったが、まだ思いきれなかった。
高坂の撮影現場である時代劇の舞台に今度は親友の武士・村田左之助がタイムスリップしてきた。
映画『侍タイムスリッパー』終わり
映画『侍タイムスリッパー』感想:全シーンに2つの感情が宿る
良かった点:笑いと涙の共存
笑えるだけじゃなくてめちゃくちゃ泣ける近年屈指の邦画の傑作。上質なコメディは上質なヒューマンドラマたることを再認識させてくれた。
現代にタイムスリップしてきた主人公・高坂新左衛門の行動はずっと笑えるのに、守りたかった幕府も会津藩も滅んでしまっている背景があるために切なくも見えてくるのがグッとくる。
初めて斬られ役として参加して坂本龍馬役の役者に撃たれてショックで倒れて走馬灯が見えるシーンも笑えるんだけど泣ける。笑いと切なさが共存している点が本当に素晴らしい。
高坂が意外と現代に順応するのが早いのも逆にリアルだった。生きるために何かしないと幕府が潰えたショックで精神が崩壊しそうだったんだろうな…。
また高坂と風見の時を超えた関係に痺れた。まさに「昨日の敵は今日の友」。特に最後の真剣で斬り合うシーンは圧巻。お互い、本来の時代で死ねなかった無念と相手への尊敬を背負って本気で斬り合う。時代劇以上に時代劇だった。
風見の「本物を残したい」というセリフもいい。これは世の中のクリエイター全員の願いではないだろうか。特に命懸けで伝統芸能を継承している方々の魂の叫びを風見が代弁していた気がする。
(本物の武士が本物の時代劇を残したい…というかなりシュールで複雑なシチュエーションではあるがそれもまた趣深い)
最後の真剣での殺陣のシーンでは、高坂に雷が落ちて江戸時代に戻り会津藩の武士として散る結末が頭をよぎった。会津藩が滅ぶ場面の台本を読んで涙を流していたところから、高坂が最後に過去に戻って死ぬ切ない結末もあり得ると考えた。
しかしそうはならず、「今という時代を精一杯生きねば」という一般論に落ち着いた。これほど説得力のある一般論はそうはあるまい。今を精一杯生きようと締め括る駄作は多々あるが、そう締めくくっての傑作は少ない(僕調べ)。
当たり前の言葉が真剣のように重たくなる。「侍タイムスリッパー」はそんな傑作だった。
残念な点
大好きな作品になったこともありダメな点は思い浮かばないけど、強いていうと序盤の演出やカメラワークがコテコテだったかな。
正面からそのまま映しました!みたいなシーンが多かったような気がする(今思えばそれもまた味か)。
『侍タイムスリッパー』考察:侍魂を伝えるメタ作品
2つの時代を同時に生きるメタ構造
『侍タイムスリッパー』の設定で秀逸だったのは、主人公・高坂新左衛門の心がメタ構造のようになっていて現在の出来事に江戸時代の心情が重ねられていたところ。
高坂がタイムスリップしてきて斬られ役になる展開は現代のわれわれの視点からすれば一見コメディなのだが、江戸時代の価値観を想像するとすべてを失った切なすぎる男に見えてくる。
斬られ役になることは武士としてのプライドや存在意義をすべて捨て去ることに等しい。そう考えはじめるとすべてのシーンから笑いだけでなく哀愁が漂ってくる。
喜劇と悲劇のサンドイッチのような作品。鑑賞者に現代視点と江戸時代視点の両方で見ることを強制するかのような構造。全部のシーンで喜びと悲しみが同時に伝わってくるつくりに脱帽した。
『カメラを止めるな!』の再来と言われるのはインディーズであることに加え、今言及したメタ構造が大きいと思った。
カメ止めの場合は、①ゾンビ映画と②撮影スタッフの奮闘という二重構造。
侍タイムスリッパーの場合は、①タイムスリップしてきた侍のコメディ、②時代劇という劇中劇の二重構造。そしてそのさらに外側に江戸時代への感傷が反映されている。外側のレイヤーがもう1層多いと思った。
また殺陣師・関本役の峰蘭太郎さんが時代劇俳優であり本物の殺陣師でもあることも本作に絶大なリアリティを与えていると感じた。
メタ構造を持つSFフィクションではあるが、伝わってくる心情は真実そのものである。
武士・斬られ役・サラリーマンの共通点
『侍タイムスリッパー』がなぜこんなにヒットしたのか?大きな理由のひとつは主人公・高坂新左衛門の境遇が現代のサラリーマン・社会人とシンクロするシーンが多いからだろう。
- 武士は主君に命じられればどんなことでもせねばならず、死も厭わない
- 斬られ役の役者も基本的には監督の演出は絶対服従
- サラリーマンも社会人もお偉いさんの命令にはなかなか逆らえない
「己に与えられた役目を果たせ」というセリフがおのおのの仕事に共通する。
幕末からタイムスリップしてきた男の物語は、現代の日本で働く我々の物語でもあったのだ。
山形彦九郎が村田左之助を斬らなかった理由
冒頭の暗殺のシーンで山形彦九郎が村田左之助を気絶させただけで殺さなかった。斬り捨てなかった理由は、のちに風見(山形)本人の言葉からわかる。
山形は過去に人を斬り殺したが、後にその殺しがPTSD(トラウマ)になってしまった。暗殺の時点ではまだトラウマにはなっていなかっただろうが、無意識下に殺したときの嫌な感触があったからこそ村田をわざわざ斬らなかったのだろう。
具体的にトラウマを認識したのは現代になってからだと考える。
風見(山形)は現代の殺人は重大犯罪との倫理観に触れて、自分が過去に犯した殺人が許せなくなってしまったのではないか。幕末の世に生き続けていたなら人を1人殺したくらいで気に病むことはなかったと思う。
風見(山形)のトラウマについては深掘りされていなかったが、世間の価値観が個人の精神に深く関わってくることをリアルに表現していたと感じた。
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