
ドラマ『良いこと悪いこと』(いいこと悪いこと/イイワル)が最終回10話を迎えた。
しかし最終話では、いじめを題材にしたサスペンスからいじめ撲滅の社会派テイストになってネットでは不満の声も…。ストーリーの評価できる点や問題点を語っていきます。
最終回の考察記事はこちら↓



『良いこと悪いこと』最終回でいじめのテーマ着地に失敗?成功?
まずいじめを題材にしたドラマとして、いじめの被害者や身内が復讐殺人を起こすほどに深い怨恨・傷を残すと表現した点は評価して良いと思う。
今國はタクト学園でPTSDみたいなの発症していたし、いじめは被害者側にしてみれば人格破壊され人生終了するほど深刻なもの。最終回での今國のセリフからもその深刻さがうかがえる。
しかし一方で、宇都見、今國、東雲ら被害者3人が負のスパイラルに巻き込まれて連続殺人を犯してしまった結末には救いがなさすぎるし解決感も薄い。
紫苑の無念を晴らしたいなら、東雲は記事でいじめ撲滅を発信、今國はスナックで場所作り、宇都見は刑事として犯罪捜査に触れながらいじめをなくすシステム面を研究する…などの世界線もあったのでは?3人とも闇堕ちは残念すぎる。
“キングたちが紫苑をいじめたのは許されることではない。だとしても彼らを殺していい理由にはならない”←この前提には、いじめの被害者とそうでない人で大きなギャップがあり、その橋渡しがうまく出来ていなかった感がある。
(社会的にはそうだけど、いじめの被害者は加害者が罰せられないことが許せない)。
そのギャップを殺人で埋めてしまう極論な形でしか表現できなかったことが最終回がモヤモヤした1番の理由ではないだろうか。
いじめ問題の着地が綺麗に決まらなかったように見える。
また、キングに今國を殺させてそれを記事にして、いじめが決して終わらないものだと世間に見せつけていじめを殺す!という東雲の主張は記者として非常に短絡的で安易に見えた。
まず、いじめを法律で禁じること自体が実現の可能性がほぼゼロ。パワハラやマウント行為→即犯罪者にされる超監視社会・ディストピアが出来上がり、かえって自殺率などが増えそう。
それに、東雲の主張は“いじめという恐怖に対して法律という恐怖で縛る”もの。これは東雲自体が人間を一切信用しておらず、いじめを全く克服できていないことを示しているに他ならない。
紫苑のおかげで記者になる夢を持って前向きに生きられたのなら、そんな極端な主張にならないのでは?やや矛盾しているようにも見える。
それに、紫苑から受け取った前向きなメッセージを東雲が受け継いでいないような気がして、そこが個人的には1番引っかかったポイントだった。
殺人を計画実行してしまったこともそうだが、紫苑という光があったにもかかわらず東雲は精神的な面でまったく救われていないように見える。
しかし一方で、いじめを受けた側はその傷を一生癒すことができず、人生や考え方が崩壊してしまう…と救いのなさ伝えたいならそれで正解なのかもしれない。
いじめの悲惨さを描くことには成功したが、いじめを受けた側が一切の解決や救いを閉ざされているところをどう捉えるかによる最終回だったと思う。
あとは、気になったのが花音へのいじめ対応のシーン。キングの過去のいじめが原因で娘の花音がいじめられ、いじめの悲惨さが増幅されているが、これが東雲のやりたかったことなのか?
これまた救いようがない。少なくとも花音には罪はない。
東雲や今國はいじめを減らしたいんだよね?そこも整合性がないなあと感じてしまった。
それに「まずは花音をいじめた児童たちをちゃんと教育しろよ!」とも強く思った。これではいじめを見て見ぬフリをした大谷先生の二の舞。1番大事なのはいじめが起きたその時にどう止めるか?ではないか。その辺がふわっとしすぎていた。
また園子の「私にとってのいいことは、別の誰かにとって悪いこと」→これは厳密に言えば問題が別の視点になっている。悪意がない場合・故意じゃない場合でも人を傷つけうると言っているが、それは悪意があるいじめとはレベルが違う話しだ。
現実問題に即して考えれば、子供が持つ残酷さ(子供って絶対いじめっぽいこと、いじわるするよね)を大人がどう変えてあげられるかにもう少しスポットが当たってもよかったのではないか。
その点では唯一の救いはキングがいじめをなくそうとする良い父親であり、花音と喧嘩していたリョーマが花音をいじめから救ってあげようとしたところはよかったと思う。
まとめとして、いじめをなくす物語ではなく、いじめによって“善を選べなくなった人間”の悲しい物語として読めば成立すると思う。
被害者3人が殺人犯になった後味の悪さやモヤモヤそのものをいじめの悲惨さとして撲滅につなげたのであれば決して失敗ではない。
ただ同時に、いじめをどうやって減らせるか?という未来ベクトルのシーンも多く描かれていたので、どっち方向へ解釈していいか迷い、そこに解決感のなさが残ったと感じた。
『良いこと悪いこと』は、表層では「いじめは許されない社会問題」として描いている。
でも深層では「被害者が善を選べなくなる構造」を描いている。
最終回ではこの2つのレイヤーが上手く噛み合っていないとも捉えられる。
だから視聴者は、「いじめ撲滅の社会ドラマとして観ていいの?」「ドロドロの救いのない心理悲劇として観るべき?」と迷ったのだろう。これが私の結論。
『良いこと悪いこと』最終回の正直な感想、ひどい?
いじめ問題へのメッセージも「それぞれがもっと主体的に良いこと悪いことを判断!」みたいな感じでストレートすぎたし、何よりサスペンスパートでの衝撃が1つもなかったのが個人的に少し残念だった。
もちろんひどいと言えるほど残念な内容ではないが、いじめ撲滅のドラマとしても、サスペンスとしても最終回は若干中途半端だった印象は拭えない。
東雲と今國がタクト学園出身なのは確定していたので、紫苑の親友で宇都見の共犯だとわかっても「それ、みんな知ってるやつ…」っていう感じだった。東雲と今國が共犯だとわかった上で、何か1つくらい視聴者を満足させる大どんでん返し要素があってもよかったと思う。
東雲と今國が宇都見の殺人をどの程度手伝ったのか?など、ハッキリしない点も多い。
9話まで面白かったので10話でもっとインパクトが欲しかったなあというのが正直な感想。
まあしかしドラマ全体としては謎解きや考察が楽しめた。製作陣の方々お疲れ様でした。
最終話の考察レビュー関連はこちら↓




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