映画『ルックバック』考察ラストの意味/京本は生きている…元ネタ,ネタバレ解説感想レビュー

映画『ルックバック』
映画『ルックバック』

藤本タツキ先生原作の映画『ルックバック』を鑑賞。この時代にこんな躍動感とエネルギーに満ちた傑作に出会えたことに感謝。

なぜストーリーがこんなにまで反響を呼んでいるか自分なりの考察をまとめてみた。

映画『ルックバック』ネタバレ感想:失ったものは戻らない

とりあえず超感動した…それはさておいて、『ルックバック』からは失ったものの重み、そして失ったものの原動力が伝わってきた。

結論からいうと、誰もが経験する大小さまざまな「失う」ことをどう受け止めるかを描いた作品だと感じた。希望だけでなく、その傍らにある絶望までを描いたからこそ多くの人に刺さり、評価されているのだろう。喪失感だけでなく、喪失を受け止めて再始動するまでの心理描写を飾らずに描いたからこそ人々の心に刺さったのだと思う。

失ったものは戻らない。しかし、失ったものは自分にエネルギーを与えてくれる。心にポッカリ空いた穴=喪失に新しいエネルギーが流れ込むことで再駆動できる。深いメッセージがダイレクトに伝わってきた。

ちなみに美大にいた京本を通り魔が襲う展開から京アニ事件との関連が示唆されているが、京アニ事件を元ネタにして連想させたかったというより、漫画を題材にして親友の理不尽な死と喪失を描いた結果、京アニ事件っぽくなったという方が近い気がする。

考察1:京本は生きている…ラストの本当の意味

「バタフライ・エフェクト」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

京本が美大で藤野に助けられるパラレルワールドは、藤野の願望(救いのための妄想)だろう。

自分で破いた「引きこもり大会」の4コマ漫画がタイムスリップして小学生の京本の部屋に入ったら…でIf世界の想像が広がった。

映画では藤野の部屋には「バタフライ・エフェクト」のポスターが貼ってあった(入選が決まったあと)。「バタフライ・エフェクト」は、あのとき2人が出会わなければ…というIfの未来を主人公が延々作り続ける映画で、ほんの些細な出来事で未来が変わると身に沁みる切ないストーリー。「ルックバック」のテーマとも重なる。「引きこもり大会」の4コマ漫画のくだりは「バタフライ・エフェクト」的なコンセプトを拝借したものだろう。Ifの世界線では藤野が京本を通り魔から救う。タランティーノ監督が「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でシャロン・テートが生きている世界線を描いたように、フィクションの力強さを見せつけたIf世界の映像だった。

京本の“生”はフィクションなのか?

フィクションの力強さの直後にフィクションの儚さを突きつけてくるのが『ルックバック』の切れ味の良さの正体だと考える。

藤野はIf世界を想像したあとで最後に自分の漫画「シャークキック」を読んで泣いていた。このシーンで藤野はIf世界にはいけないと京本の死を受け止めつつ、自分の漫画の中に京本が生きていることを悟ったのだと思うペンネームも藤野キョウのままだし)。

京本が藤野から影響を受けたように、藤野も京本から多大な影響を受けていた。自分が漫画を描く限り、京本の生きた痕跡が線の中に現れ続ける…京本は生き続けるのだ。そう考えて死の喪失による休載を乗り越えたのだろう。

藤本タツキ先生は若い頃に東日本大地震のボランティアなどにも参加したらしく、大変な災害があったのに絵を描いていていいのかと悩んだそうだ。

そういった経験が、喪失に対して生きている側に何ができるか?どう生きれば良いのか?という本作のメッセージに反映されているように思える。

藤野は自分が描く漫画の中に京本が生き続けていることを感じたのだ

突然の暴力による犠牲を受け止められる人間はいない。犠牲だ…と絶望の側だけを受け止めるのではなく、その人が生きた痕跡が自分の中に受け継がれていると捉えることが大事なのかもしれない。

フィクションは儚いかもしれないけど、創作者の“生”そのものがコンテンツにプリントされており、人が生きる意味そのものにもなる。非常に深い学びがあった。

考察2:タイトルの意味→背中で支え合う

『ルックバック(look back)』には、振り返るや回顧するという意味がある。

藤野は京本の死後に家を訪れ、京本が引きこもり大会の4コマ(小学校の卒業式で描いた)をジャンプのしおりとして使っていたと知り、自分のせいで京本が漫画や絵に熱中した→自分のせいで京本が死んだ!という思考に陥ってしまう。

そのあとで京本が描いた4コマ(通り魔を藤野がやっつける)を見た藤野は、自分の想像との一致という偶然性から別の世界線では京本が生きていると妄想したかもしれない。そのすぐ後、藤野は京本と過ごした青春をルックバックする。

しかし、例えば別の世界線で京本が生きていたとしてもそれは藤野が知っている京本ではない。藤野にとって大切な京本は、別世界で生きている彼女ではなく、死んだ京本なのだ。藤野は最後にそれに気づいたのではないか。

想像の世界線のあとに現実で起こった青春をルックバックしたことで、藤野は京本の死を正しく受け止められたように感じた。

過去に戻れたとしても、2人が一緒に漫画を描くことは止められないのではないか。ラストはそれを悟ったルックバックだった。

またbackには背中の意味もあるので、ルックバック=背中を見ろ!という意味にも見える。京本は藤野に頼んで自分の背中(ちゃんちゃんこ)にサインを書いてもらった。

藤野は、京本が描いた通り魔を藤野が撃退して背中に凶器が刺さる4コマを見て、背中を押してもらえた

©︎藤野タツキ「ルックバック」,集英社

背中で語るとはよく言うが、「ルックバック」という言葉はお互いに背中で支え合った本物の関係を表現しているのではないか。

考察3:独白(モノローグ)は最小限

映画『ルックバック』ではここぞというとき以外の無駄なモノローグは排除され、映像で心情が伝わるようなつくりだった。心情を叫びまくる『鬼滅の刃』とは真逆のコンセプトだ(どちらがいいとは断定できないが)。

ノローグが少ないことの利点は、鑑賞する側が能動的になれることだろう。言葉で心情が説明されないので、鑑賞者は藤野や京本の一挙手一投足に注目して理解しようとする。上手く登場人物と一体になれれば言葉で説明可能なこと以上の感情が伝わってくるし、共感ができる。

次のページでは「タイトルの本当の意味」「藤野が京本の死をどう受け止めたか」「なんで藤野ちゃんは漫画を描いてるの?の答え」「原作漫画と映画の違い」について徹底考察していく↓↓

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