『透明なわたしたち』最終回ネタバレ感想,真犯人と凶悪犯になった理由考察,タイトルの本当の意味を徹底解説

『透明なわたしたち』
『透明なわたしたち』

Abema TV制作の群像サスペンスドラマ『透明なわたしたち』がNetflixで配信されたので一気見してみた。最終回の結末や全体についての忖度なしの感想や、タイトルの意味などを考察していく。

『透明なわたしたち』あらすじ・相関図

『透明なわたしたち』相関図
『透明なわたしたち』相関図 ©︎ABEMA

中川碧(福原遥は週刊誌のライターとして不倫やゴシップ記事を追うことに嫌気がさしていた。

碧の高校時代の親友・齋藤風花(小野花梨は田舎(富山県)で伝統工芸を作る夫の手伝いをしていたが、碧や梨沙が東京で活躍していることを羨ましく思い、自分は不幸だと思い込んでいた。

同じく碧の親友の桜井梨沙(武田玲奈)は、インスタに芸能人気取りの写真を載せていたが全部ウソで、ホステスの仕事から抜け出せなかった。

そんな中、渋谷のスクランブル交差点でナイフで4人が切りつけられる通り魔事件が発生

犯人はガイコツメイクをしていた。名前はすぐに特定されなかった。

そのメイクが高校の頃の文化祭のダンス部がしたメイクにそっくりなことから、碧は現在若手CEOとして活躍する同級生の高木洋介(倉悠貴)か、高校の頃のある事件のせいでみんなから仲間外れにされた喜多野雄太(伊藤健太郎が犯人ではないか?と考える。

碧は記者として犯人や動機を突き止めようとするが、高校の頃の事件がキッカケで自分の存在も揺らいでいくのだった。

『透明なわたしたち』最終回の結末と感想,真犯人は?(ネタバレあり)

無視やマイクロアグレッション(自覚のない差別)のようなコミュニケーションの齟齬の表現という意味では素晴らしかったと思う。

高校生の青春や恋愛が、社会人になってからの分断や歪みにつながるコンセプトが現代風で興味深い。

ひとことでいうと、青春でも恋愛でも仕事でも、相手の存在を軽んじてしまったとき、のちに大きな歪(ひずみ)になるというメッセージだった。

ただサスペンス要素が弱くて、面白いドラマだった?と言われると微妙だった。

「高木が犯人だ!」とSNSで嘘をついた人物は碧の親友・風花だとすぐにわかってしまうし、通り魔事件の犯人が3話で尾関(ライングループの中で1番目立たなかったやつ)だとわかってしまうし…。サスペンスがメインじゃないのはわかるが、もう少し引っ張ったほうがエンタメ性が出たのでは?と思える箇所がいくつかあった。

高校の頃のダンス部室の火事についても、高木のタバコの不始末というのは意外性がないし、尾関が出火を知りながら消さなかった事実もさほど驚きはなかった。

考察:最終回でタイトルの意味が判明

最終回は良かった。みんな自分の見たいものしか見ておらず、そのせいでそれぞれの存在自体がないに等しい=みんな透明である→透明なわたしたち…とタイトルに回収されていく詩的な流れが良かった。SNS時代=透明時代なのかもしれない。

目立たない尾関が通り魔の犯人だった理由も、社会から無視され、軽んじられていた存在だったからだとわかる。主人公の碧や尾関の親友だった喜多野たちも、本人は気づいていないだけで態度で尾関を追い詰めていた部分があったわけだ。社会に生きている限り、誰かを傷つける責任からは逃れられない。だからなるべくまっすぐ見つめよう…というメッセージが伝わってきた。

冒頭で自殺した女子高生・ユリも社会に存在を認知させたくて飛び降りてしまったことがわかる。尾関はユリの死体を見ていた。存在の訴える行動がユリから尾関へと伝播してしまったのだろう。

リアルに行動原理を問うとツッコミどころは多々あるが、普通に生きているだけで傷つき、傷つけられる…だれもが被害者であり加害者であると表現していた点が意義深い。

ちなみに主人公・碧は高校の頃の先輩・一ノ瀬と浮気してしまうが、これも自分の存在を直視せずに軽んじてしまったということでしっかりとテーマに絡んでいる。

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