映画『リターン・トゥ・サイレントヒル』(Return to Silent Hill)をアマプラで鑑賞!
クリストフ・ガンズが20年ぶりに戻ってきた。2006年版『サイレントヒル』を撮ったあの監督が、ゲームでいう『2』を題材に選んだ理由は、純粋な精神世界の地獄が描かれているからだろう。
海外でも賛否が真っ二つに割れている本作だが、批判の声に押されて見えなくなっている読みがいくつもある。以下、僕なりに、海外の考察も引き合いに出しながら読み解いていく。
※完全ネタバレなので未視聴の人は注意!
映画『リターン・トゥ・サイレントヒル』考察まとめ(ネタバレ)
サイレントヒル=ジェイムスの精神世界?
まず大枠の世界観の話から。
本作は霧と灰と病が支配する廃墟・サイレントヒルを舞台にしているが、主人公ジェイムス・サンダーランドという男の頭の中で、観客はその頭蓋骨の内側を106分かけて歩かされる。
この映画でのサイレントヒルは、ジェイムスの罪悪感、後悔、未練、自己嫌悪が、霧と灰と廃墟というかたちで映像化された場所だ。
ということは彼以外の登場人物は、ほぼ全員がジェイムスの内側から生まれた存在として扱われている。
頭痛とサイレン。これは町が彼を襲っているわけじゃなくて、抑圧した記憶が浮上してくる兆候だろう。真実に近づくと、頭が痛くなりサイレンが鳴る。
ジェイムスの無意識がジェイムス本人に「真実が来るぞ!」と警告している。
レッドピラミッドシングについても、あれはジェイムスがジェイムスを罰するために作り出した処刑人だ。
劇中、レッドピラミッドシングがマリアを惨殺する場面で、ジェイムスは一瞬、ピラミッドヘッドのマスクの下に自分自身の顔を垣間見る。
「この処刑人は俺自身だった」と突きつけたシーンだった。
メアリー、アンジェラ、ローラ──3人の女性の意味
劇中で明かされる通り、メアリーの本名はメアリー・アンジェラ・ローラ・クレーン。
ローラとアンジェラは、メアリーの異なる人格がそれぞれ別の人物として表現されたものであり、かつ彼女たちはジェイムスの想像力によって生み出された。
アンジェラは、サイレントヒルに入る前のジェイムスにこう言った。「メアリーが見つからなかったら、戻ってきて」と。このことから彼女はジェイムスを現実世界へ引き戻す引力として機能する人格だとわかる。
序盤でアンジェラが湖岸に土嚢を積んでいるシーンがあった。これは湖岸にあるメアリーの墓を水没から守っていたのだろう。墓を守る=メアリーが死んだ現実を守ることにつながる。
対してローラは逆方向に働く。彼女は無邪気に、しかし執拗にジェイムスを精神世界の奥深くへと誘導する。
ローラはメアリーが父親(カルトの中心人物ジョセフ・クレーン)から薬物投与され、儀式的に血を飲まれていた幼少期の傷を担う人格だと推測できる(シリーズ1のダーク・アレッサと同じような人物)。
子どもの姿で現れるのは、幼少期に傷ついたメアリーの精神を表しているからだろう。
マリア=本物のメアリー
そしてマリア。彼女はメアリーそっくりの姿で現れるが、こちらはジェイムスの願望側からの投影で、「メアリーは死んでいない、まだ生きている、自分はまだ普通の生活に戻れる」という現実逃避の具現化に見える。
表面的にはその解釈になるだろうけど、マリアこそが本物のメアリーの霊が具現化した姿だと考えてみても面白いと思った。
ジェイムスの脳内にメアリーの霊が呼びかけていたとしたら。
本物のメアリーならジェイムスに現実に戻って欲しいと願うことだろう。しかしジェイムスはレッドピラミッドシングにマリア(メアリー)を殺させた。そんな狂気に満ちたシーンだったのかも知れない。
「実は主人公はメアリーだった」説
この三相構造に対して、が面白い裏返しを提示している。──この映画の本当の主人公は、ジェイムスではなくメアリーだ、という読みだ。
ハンナ・エミリー・アンダーソンが演じる女性キャラ全員(メアリー、マリア、アンジェラ)が同一人物であるという設定を、海外の批評家S.E.リンドバーグ(Black Gate誌)はメアリーの霊性が町を通じてジェイムスに語りかけている構造として読み替えている。
ガンズ自身が複数のインタビューでアンジェラ=メアリーであることを認めているが、それを「メアリーが死後も町を通じて存在している」と捉えると、映画全体がメアリーの遺言として再構成される。
カルトはジェイムスの捏造
もう一つ、3rd World Geeks誌が提示している大胆な読みがある。──カルトの存在自体が、ジェイムスの罪悪感が作り出した嘘、という説。
ジェイムスはメアリーを病気の途中で捨てて町を出た男だ。その罪悪感に耐えられず、彼の無意識は「俺が捨てたんじゃない、メアリーがヤバいカルトに取り込まれていて、俺は逃げざるを得なかったんだ」という都合のいい物語を後付けで作った可能性がある。
劇中のフラッシュバック──金粉を塗られて運ばれるメアリー、血の儀式、父親への崇拝──は、客観的事実ではなく、ジェイムスの自己弁護装置として彼の脳内で生成された映像かもしれない。
本作のフラッシュバックは構造的に全てジェイムスの主観のフィルターを通っている。第三者視点の客観カットが一切ない。
ジェイムスが見たいように見ている世界しか、観客には提示されていない。よってジェイムスが自己弁護のためにカルトを作り出した説も否定できない。
ローラが抱いていた赤ちゃんは?
ローラが幼い赤ちゃんを連れていた。
これはジェイムスとメアリーの間に生まれなかった子どもへの未練の象徴とも取れる。
カルトの薬で病気になったメアリーとは家族を作れなかった。しかしサイレントヒルでは失われた可能性が、具体化している。
エディーは何者か
ここは独自の読みになる。
本作のエディーは、原作ゲームでの存在感に比べて出番が極端に削られている。罪人三人組(ジェイムス、アンジェラ、エディー)という構造が消され、ほぼ一場面しか登場しない。なぜか。
ジェイムスを「アーティスト」として再設定したガンズの選択と合わせて考えると、エディーは、ジェイムスの創作が行き詰まったストレスや、自己嫌悪が外に向かって暴発する側面の具現化として読める。
隣町へ走り去るラストの本当の意味
そして問題のラスト。
回想では、ジェイムスは自分が殺してしまったメアリーの死体と一緒に車ごと海へ突っ込む。
ここでジェイムスを呼びかけるのはセラピストの声だろう。
よって、現実ではジェイムスは助かり、その後精神錯乱でサイレントヒルの病院に入院していると考えられる。
しかしジェイムスがその真実へ到達すると時系列は巻き戻され、メアリーと初めて出会った瞬間へ戻る。今度はサイレントヒルへ向かわず、隣町へ車を走らせる。
表層的に読めば、これはジェイムスがメアリーを殺してしまった葛藤から抜け出せず、もう一段深い精神世界へ逃げ込んでしまったバッドエンドだ。
現実世界のジェイムスはずっと目覚めず、脳内でメアリーと暮らし続けるのだろう(ある意味ハッピーエンドなのか)。
ただ、個人的にはパラレルワールドへ移行した希望の解釈も許されると思った。
ラストでは「最初の出会いの瞬間」に戻り、サイレントヒルへ行かない選択をする。選択を間違えたカップルにもう1度チャンスを与えるタイムスリップもののような結末だ。
ただメアリーの体には既に長年の毒が蓄積している。隣町へ連れて行っても、彼女が病気になる運命そのものは消せないかもしれない。つまりこのエンディングが提示するのは、「治癒」ではなく「猶予」である。
ただ、メアリーが何の薬を投与されて何の病気になっているかわからない以上、2人で暮らし続けられる未来も想像できる。そもそも、パラレルワールドへ移行したとすれば、病気の設定が引き継がれなくてもよいはずだ。
海外評価、原作改変で大批判!
本作はゲームのファンからも映画批評家からも厳しい評価を受けている。批判の中心は二つだ。
一つは「原作の罪人三人組構造を解体し、アンジェラやエディーといった独立した被害者・加害者を全部メアリーやジェイムスの内面に統合してしまった」こと。
GamesRadarやSubstackの批評家ジェンマラなどは、特に性暴力サバイバーであるアンジェラをメアリーの一部に格下げした改変を、被害者表象の軽視として鋭く批判している。
これは無視できない指摘で、原作ゲームのアンジェラが持っていた独立した重みは、確かに本作では失われている。
もう一つは「ピラミッドヘッドのマスクの下にジェイムスの顔を映す」ような演出の露骨さ。象徴を観客に解釈させる原作の繊細さに対して、映画は答えを画面に書き込みすぎる、という批判だ。
確かに視聴しながら、「いや、わざわざジェイムスの顔映さなくても自分自身ってわかるでしょ。くどいしストーリーに余韻がなくなる」と思った。
これらは正当な批判だが、ゲームの忠実な映像化ではなく、ガンズが『2』を素材にして撮った別の作品として見ると、評価軸が変わる。
おそらく『リターントゥサイレントヒル』は純粋なラブストーリーなのだ。ジェイムスとメアリーの過去は悲劇的で、ジェイムスの脳内は地獄絵図だ。
ただ、一貫して描かれているのはジェイムスは恋人・メアリーが死んでいるとしても一緒に生きたいと願ったことで、ジェイムズは廃人になってしまったがそれを達成している。
感動のラブストーリーの表現方法がホラーだったと捉えることもできると思った。

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