ついてに完結した世界的に話題のNetflixドラマ『イカゲーム3』。
私自身は『イカゲーム3』をかなり楽しめた方なのでネットで否定的な意見が多いことに驚いた。
いろんな意見に触れていると確かにと思う部分もあれば、期待していたものと作品のコンセプトの齟齬によるところも大きいと思った。
特に後者についてなぜこうなってしまったのか、ファン・ドンヒョク監督のインタビューや海外での評価に触れながら解説していく。
※イカゲーム3の結末のネタバレありなのでご注意!
『イカゲーム3』最終回結末まで全6話のネタバレ解説はコチラ↓


ギフンが何も変えられなかった…絶望が勝る
ファン・ドンヒョク監督のインタビューによると、シーズン3では絶望と希望の両面が描かれていたようだが、あくまで表層だけをみるのであれば絶望が大勝ちしている結末である。
ギフンが主人公として何かを変えてくれる!と考えていた視聴者は残念に思ったかもしれない。
海外大手レビューサイト・ロッテントマトズでは批評家支持率80%と割と高いのに対して、一般視聴者支持率が50%と低い。
低評価コメントの多くは主人公のギフンが何も変えられずに死亡し、悪党たちが逃げ出した結末に大きな疑問符と喪失感を投げかけていた。
これに対して、『イカゲーム3』のファン・ドンヒョク監督による結末についてのインタビュー抜粋を読んでいただきたい↓
Q:妊婦プレイヤー・ジュンヒが出産し、その赤ん坊がゲームに参加する展開は大胆でした。赤ん坊は何を象徴していますか?
「今の世界がどれだけ壊れていても、未来世代により良い世界を残すために変える必要がある。赤ん坊は人間の良心であり、未来そのものです。」
Q:ギフンの結末を描くうえで、最も難しかったことは?
「どこまで彼を落とし、その後どう立ち上がらせるか。シーズン2の反乱は失敗に終わり、仲間を失い、罪悪感に囚われたギフンは、ついに別のプレイヤーを殺してしまいます。これは彼にとって“取り返しのつかない原罪”。そこからの精神的な再生をどう描くかが一番苦労しました。」
©︎hollywoodreporter
このようにギフンが罪を犯した者として絶望したあとでどう行動するかが、メインテーマになっている。
結末がバッドエンドだったことに加えて、ギフンの心情が時間をかけてしっかり説明されていなかったわけではないので(表情で読み取るしかない)、彼の行動原理を中心に物語を楽しむことができなかった視聴者が多かったのではないだろうか。
別プロット、別エンディング案
ちなみにファン・ドンヒョク監督は構想段階では、シーズン2の前にギフンがアメリカへ渡り、イカゲームを開催しているVIPたちと対決するプロットや、シーズン3でギフンがゲームから脱出してアメリカへ行って娘と会う別エンディングがあったようだ。
しかし資本主義批判や人間の普遍性についてのテーマがブレるので却下されたそう。
フロントマンの心情がわかりにくい
運営側・悪側であるフロントマンが逃げ延びる結末に救いがなくてモヤっとするとの意見も多かった。
この結末についても単に悪の側が勝利したわけではなく、実際にはフロントマンはギフンに意志の面・人間的な面で完敗していた。
ただフロントマンもギフンと同じように自分の心情を独白しなかったので彼の行動原理・心情が伝わりにくかったのはある。
いつも仮面をつけているし、仮面を脱いでも鉄仮面。イカゲーム3のメインテーマはギフンとフロントマンの精神的な対立である。
フロントマンの心理描写を能動的にくみとらなければ、ストーリーはかなり陳腐なものに映ってしまうかもしれない。

結論、心情をセリフで説明しない失敗
結論を述べると、物語の軸であるギフンとフロントマンの心情が伝わってくるセリフが少なかったことが結果的に「イカゲーム3」の低評価に繋がったと考えられる。
ファン・ドンヒョクのインタビューを読むと、ギフンとフロントマンの対決から人間の善と悪の普遍性を提示するテーマが込められていたとわかる。
私自身は『イカゲーム3』は実は『ブレイキング・バッド』(癌で余命宣告を受けたおじさんが麻薬製造をする話/心理描写と演技が卓抜なドラマ)に近いテイストだと思っている。
私としてはギフンの心情もフロントマンの心情も、時間的には短いながらもしっかりと表現されていたと思う。
心情を吐露するセリフがなかったのはテンポ感を保つためで、その編集は個人的には成功していたと感じた。
しかし「思ったよりわかりにくい…」というのが大多数の方の正直な意見で、それも間違っていないと思う。
確かにギフンやフロントマンの心理状態について逐一考えてないと監督の意図まで伝わってこない。
そこまで能動的に物語を見るのが好きじゃない人からすれば、よくわかんねえし、ギフンが何も変えられないで死ぬしフロントマンもVIPも逃げてるし意味不明!!となる危険性が高い。
特にネットで気軽に、時間がなければ倍速で見る環境においては、言葉による説明なしで表情やワンシーンの仕草から心理描写を読み取らせるつくりは上手くハマらないかもしれない。
資本主義構造に対して、抽象的な希望で解決
シーズン1から明確に描かれているコンセプトが資本主義構造に対する批判である。
そのコンセプトも中途半端と言えばそうだったかもしれない。
私たちの多くが資本主義の渦中にいながら、貧富の格差が広がり続ける現状に疑問符を抱いてもいるだろう。
ファン・ドンヒョク監督もインタビューで「世界がどんどん悪い方向に行っているから希望を持たせたい」と語っている。
資本主義批判に対してのアンサーが、未来への希望の象徴である赤ちゃんの勝利である。
ギフンが死という究極の自己犠牲によって赤ちゃんの未来を守った結末は感動的で興味深い。
ただ、実利的な解決がなされているかというと疑問符が残る。フワッとした抽象的な結末といえばそうだ。
運営側は生き延び、イカゲームはアメリカなど世界各国で続いている。結局は世界は変わっていない。そこにはまだ大きな絶望が漂っている。そのへんにモヤッとした人も多いのでは?
ディティールを汲み取らないとつまらない
『イカゲーム3』はディティールを積極的に汲み取らなければ微妙な物語に映ることだろう。
最後の「天空イカゲーム」についても、スタートのボタンが押される前にミョンギが死亡したこと。そこからゲームスタートなのでギフンと赤ちゃんのどちらかがルール上死ななければならないことを万が一にでも見落としてしまうと、ギフンの自己犠牲が意味不明でアホらしく見えてしまう。
ミョンギの行動原理もかなり複雑だ。
ミョンギは第4ゲーム「かくれんぼ」でナムギュの口車に乗ってゲームクリア後も他の参加者を殺しまくった裏には、自分がゲームで有利になりたいだけでなく、ジュニを生き残らせたい思いも確かにあったように思える。しかしその行動がジュニを守っていたヒョンジュ(120番)を殺してしまう皮肉につながる。
ミョンギだけでなく、それぞれの参加者たちの心理的な二面性が描かれており、そこに面白さが宿っている。
主要キャラはもちろん、例えば名前すらわからないヤラレキャラの39番も面白い。
39番が天空イカゲームで他の参加者に足の骨を折られた後で自ら飛び降りた心理の裏には、せめてギフン、ミョンギ、赤ちゃんの3人の誰か1人を道ずれにしたいという悪の心があった。
海外のレビューなどを読むと「結末が簡単に予想できた。似たような物語が多い」という意見が多いが、赤ちゃんが誕生してその赤ちゃんが優勝者となる最後や、フロントマンが赤ちゃんを助けるディティールまで予想できていた人はどれだけいるのか。
また登場人物1人1人の心理描写まで汲み取っても面白くなかったのか?その辺は少し聞いてみたいと思った(それでもつまらないなら仕方ない)。
『イカゲーム3』は表層的なストーリーではなく、心理描写やディティールを味わうべき物語だった。しかし、視聴者はそこに期待していなかったため低評価が勝ってしまったのではないだろうか。


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