映画『サブスタンス』(The Substance)を鑑賞。
デミ・ムーア演じるヒロインの美と若さへの執念が狂気に代わり、阿鼻叫喚という言葉のはるかその先へ。
予想を遥に超えたグロさのボディホラー…クオリティの高いMVを見ているような感覚からの最悪の映画体験になりました。
- あらすじ
- ネタバレ・ラスト結末解説
- 美の概念に対する復讐と嘲笑(考察)
- エリザスーは美の象徴?ラストの意味(考察)
- 忖度なしの正直な感想:アンチ解釈?
これらの情報をまとめました。
映画『サブスタンス』あらすじ・作品情報
ネタバレなしの感想
阿鼻叫喚という言葉では片付けられない最高で最悪の映画体験だった。舐めてました。すいません。
ファッション映画の皮を被った超絶ボディホラー。
芸術点が飛び抜けて高い傑作だが、同時に見たことを後悔させられる作品でもある。鑑賞後の夜は良い夢を見られそうにないだろう…(実際に私は歯が抜ける夢を見た)。
若さと老い、美と醜さを対比させる問題提起のコンセプトとメッセージ性が詰まった作品…それだけではない。すべての価値観をぶち壊しにくるホンマもんのホラー。
スタートから1時間過ぎたころから気分が悪くなっていくが、そこから1時間以上の地獄が続く耐久レース。
ヌー○が多いことだけでなく、とにかくグロテスク、ゴア描写の連続がキツい。良い子は絶対に見ちゃダメ!カップルでの視聴もヤバいことになると思う。
カンヌで脚本賞を受賞しており海外評価も高い作品ではある。ただグロいのや精神を蝕む系の映画が苦手な人は避けた方がよい。本気で後悔する事になる。。。
映画『サブスタンス』ネタバレ・ラスト結末
分身として生まれたスーは自分の美しい肉体を見て自信に満ち溢れる。ハーヴェイに会いに行き、エリザベスが降板したあとのフィットネスショーの主演に抜擢された。
スーは7日ごとにエリザベスと入れ替わらなければいけないことに、次第に苛立ちを感じる。この肉体で7日以上過ごしたい。
いっぽうエリザベスはスーの肉体の若々しさを見て、自分の存在価値が無いと思い始め、家でTVを見てやけ食いする生活になる。
ある日エリザベスが起きると、指が1本ミイラのように老化している。スーが7日を超えた時間を過ごすためにエリザベスから余分に髄液を抽出したのだ。
エリザベスは連絡先をくれた元同級生の男性と飲みにいく約束をしたが、何度も服を変え、口紅を塗り直しても自分の美しさに確信が持てず、結局外に出られなかった。
その後もスーの暴走は続く。スーは年末の司会に大抜擢され、7日を超えて生活するために寝ているエリザベスの体から大量の髄液を抽出して毎日打った。
しかし大晦日の前日に髄液が足りなくなり、スーは仕方なくエリザベスと交代。
エリザベスが目覚めると、全身の骨が曲り髪も抜けた醜い姿になっていた。
エリザベスはThe Substanceの会社に連絡し、プログラムの停止用の注射を受け取った。それを寝ているスーに刺そうとする。これすべて注入すればスーは死ぬ。しかしスーに活躍してほしい気持ちもあり、全部の液体を注入できなかった。
なぜかスーが目覚める。エリザベスとスーの両方に意識がある状態だった。スーは自分を殺そうとしたエリザベスに怒り、何度も殴って惨殺する。
スーはTV局のスタジオに行くが、本体のエリザベスが死んだことで分身である自分も不安定になり、歯が抜けて耳も千切れてしまう。
スーは家に戻り、最後の手段として活性剤を注射。再び分裂して生まれ変わるつもりだった。しかしスーの背中から生まれたのは、身体中のパーツがぐちゃぐちゃに配置されたモンスター・エリザスーだった。
モンスター・エリザスーは生放送に登場する。観客は阿鼻叫喚。エリザスーの体はどんどん崩壊し、観客に血のシャワーが降り注ぐ。
エリザスーはスタジオを出た。体は爆発して崩壊。顔と脳みそだけがエリザベス・スパークルと書かれたハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの上にたどりつき、そこで死んで溶けてなくなる。
映画『サブスタンス』考察
美の概念への憎悪と嘲笑
本作のテーマやメッセージ性を語るなら、美という概念への憎悪と嘲笑が反映された作品だと考える。
美貌の裏側には「絶対に老けたくない、醜くなりたくない」という自然に反した欲望がある。
そして美貌は男性の欲望の眼差しによって作り上げられた外圧でもある。
女性にとって美はすべてを失ってでも手に入れたい最優先事項であると同時に、自分自身を破壊して型に嵌める呪いでもあるのだ。
商業的な美しさは女性だけで作り上げられた価値観ではなく、男性の欲望も多いに加担しているのは明らかだ。
コラリー・ファルジャ監督はそこにゴア描写を加え、女性たちを苦しめる美の概念への復讐を果たしているようにも見えた(女性のボディをぐちゃぐちゃにして)。
マーガレット・クアリーをこれでもかとエ○い感じの視点で取って鑑賞者である私たちに有害な男性の象徴であるハーヴェイとの共犯関係を構築させる→その上で最後に美の裏側にあるリアルな肉塊と血飛沫とを突きつける。
美の崇拝に対する復讐にも嘲笑にも見える。
ハーヴェイについては映画業界の重鎮で女性への性的暴行歴の数々が暴露されて逮捕されたハーヴェイ・ワインスタインがモデルと言われている。
怪物エリザスーは“美”の象徴?ラストの意味
モンスター(モンストロ)エリザスーは醜さの極地であるいっぽう、商業的な美しさのメタファーだとも感じた。
スーのようなトップモデルの肉体は、ある面で肉体改造の結果である。
不自然な化粧をし、厳しい食事制限とトレーニングをし、ボトックス注射を打ちまくり、整形を繰り返す。
劇中のマーガレット・クアリー(スー)の胸も偽物だろう。
スーほどでなくても、多くの女性は男性が喜ぶ美を求めて肉体を改造し、変容させている。
男性が求める究極系が顔にオッ○イがついているエリザスーだ。彼女ほど男性の欲望を忠実に体現した存在はないだろう。世に蔓延る美の外圧を一身に受けた美しさの象徴、それがエリザスーなのだ。
エリザベスが元同級生の男性と飲みに行く前に口紅を何度も塗り直し、結局部屋から出られないシーンがある。「男性が求めるものはこうだ!」を繰り返して答えがわからなくなった商品的な美に従順な女性、その究極がエリザスーだと思えた。
そう考えるとラストでエリザスーがなぜハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに辿り着いたかの理由も見えてくる。
エリザスーは男性が求める美を体現した名もなき哀れな存在としてではなく、最後はエリザベスとして死にたかった。アイデンティティに回帰したのだ。
Substanceには「物質」という意味の他に「本質」という意味もある(スラングでドラッグの意味もある)。
商業的な美とはグロテスクな肉の塊でしかないという本質を突きつけた“最恐のボディホラー”だった。
若さという呪縛
エリザベスの意識が分身のスーの中に入ることで入れ替わっている(意識はひとつ)と思いきや、お互いに相手がやったことは記憶にない。つまり意識は別々のようだ。
魂はひとつだけど、それぞれの肉体年齢に引きずられて意識が変容しているのだろう。
エリザベスは自分の肉体から若さを抽出するスーを憎む。
しかしスーとエリザベスは一心同体。他人からではなく未来の自分自身から若さのリソースを奪っている事になる。
自分自身の将来すら犠牲にすることを厭わない。若さとは自分自身の将来を破壊してでも手に入れたい呪縛、そんなテーマが垣間見えた。
映画『サブスタンス』感想と評価(ネタバレあり)
アンチ解釈の怪作
内容もゴア描写・グロ描写も、すべてが想像以上にドギツかった。あまりにも衝撃的すぎて鑑賞中、ずっと口を開けっ放し。
デヴィッド・クローネンバーグとギャスパー・ノエの作品を足して2で割ってグチャグチャにした印象を受けた。
序盤は美や若さへの執念をクロースアップで描き、中盤は女性の存在価値に対する葛藤を描く。しかし最後にはそれらすべての主題がエリザスーの肉体が砕け散るのと同時に虚無主義的に破壊される。
つまり「ふむふむ。ボディホラーを利用してこんなルッキズムやエイジズムのメッセージを…」とか考えてしまっている私のような人間を嘲笑い、血肉をぶかっけているのである。
まるで解釈を拒んでいるかのようである。考えてみると解釈という行為と男性側がエ○を女性に押し付ける行為は似ている。
男性以上にルッキズムやエイジズムにさらされ続けている女性からすれば、問題に対して理解はしてほしいけどわかった気になって語られるとムカつくかもしれない。コラリー・ファルジャ監督はそんな素直なフラストレーションを可視化したのだと思った。
解釈の愚かさを突きつけ、解釈に対してNoと言っているような映画に見える。そんなコンセプトが海外でも評価されたのだろう(また解釈しちゃった。エリザスーに血をぶっかけられそうである)。
観客参加型のボディホラー
ボディホラーとしても圧巻。数多のクロースアップで女性の肉体を堪能し、そして破壊すことに観客が加担させられる。
特にスーがエリザベスを鏡に何度も打ち付けるところ、何度も蹴って殺すところは目を覆いたくなった。映画館が巨大な精肉店のようだった。
さらにモンスターエリザベスの顔面から乳房が出てくるシーンが狂気的!おまえら、これが欲しいんだろ?と言わんばかりだ。
映画館を出たあとは精神が崩壊しかけてなぜか笑っている自分に気づいた。女性の肉体破壊に加担させられた罪の意識があるからだ。気分は加害者側である。精神のHPはゼロ。
先の項目では一応いくつか考察はしたが、1本の大きなテーマ性やメッセージ性がある作品というより、さまざまな衝動がごちゃ混ぜになっているフランス料理のような作品といった方が近いと思った。
映画を男女論で語るのは愚かしいかもしれないが、女性のコラリー・ファルジャ監督が日常で感じていること・表現したいこと・美しさ・醜さ・憎しみetc…が総合的に詰め込まれており、それが心地良いカオスっぷりを作り上げている。
嫌いな上司がいたら迷わず本作をおすすめすると良いと思う(笑)。
まとめると映画『サブスタンス』は私のキャパシティを遥に超えた最高で最悪のカルト映画だった。
芸術的とかメッセージ性とかそんな言葉だけでは語れない怪作!
2025年公開作品レビュー↓






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