映画『8番出口』(The Exit 8)を鑑賞!
人気ゲームを川村元気監督が二宮和也主演で実写化!
- ラスト結末までネタバレあらすじ解説
- 意味不明なストーリーやラストシーンの意味
- おじさんは現代日本人や哲学的ゾンビのメタファー
- 観客参加型の作品、集合的無意識からの解説
これらの項目を徹底考察していきます!
映画『8番出口』あらすじ
キャスト↓
迷う男|cast 二宮和也
歩くおじさん|cast 河内大和
謎の少年|cast 浅沼成
迷う男の彼女|cast 小松菜奈
謎の女子高生|cast 花瀬琴音
あらすじ:迷う男(二宮和也)は地下鉄電車内で、大声で泣く赤ちゃんを抱く女性がサラリーマンに怒鳴られているのを傍観した。
電車を降りたあと、電話で彼女(小松菜奈)から衝撃の告白をされた男は、そのまま8番出口と書かれた地下通路に迷い込む。
何度往来しても同じ場所にループする。エッシャー展やバイトのポスター。何も言わずに歩いているおじさん(河内大和)。ルールを見ると、異変を見つけたら引き返す、異変を見つけなければ進むとある。果たして迷う男は8番出口から無事に脱出できるのか?
映画『8番出口』ネタバレ・ラスト結末の解説
異変を何個見つけた?
迷う男(二宮和也)は元恋人(小松菜奈)から電話を受け「妊娠した、産むかどうか決めて」と言われて頭がパニック状態になる。男は喘息の薬を吸って落ち着く。
男は何度かループしてルールを知り、異変を探しながら歩いていた。「コチラをみるポスター」「笑顔でガン見してくるおじさん」「引き返せの文字」「天井から滴る血」など、いくつかの異変を見つけて進む。
すると頬に傷のある謎の少年と出会う。少年も迷い込んでいたらしい。
歩くおじさん(河内大和)パート
おじさんも8番出口と書かれた通路に迷い込んでいた。謎の少年と出会い、異変を探した。いつも歩いてくる女子高生(花瀬琴音)が喋りかけてきた。それ自体が異変だと気づいてなんとか引き返す。
おじさんは7番出口まで来るが、ドアノブが中央にある異変を見逃して0にリセット。絶望したおじさんは、偽の8番出口を見つけて喜ぶ。少年は戻るが、おじさんは偽の出口から外に出た。
ラスト結末:ループから逃れられた?
迷う男は少年と出会う(時系列でいうとおじさんが偽の出口から出たあと)。何周かすると、ここにいるはずのない妊娠した彼女(小松菜奈)が現れる。
少年は「お母さん!」と叫ぶが、迷う男が異変だと気づいて少年の手を引いて引き返す。
少年は「お母さんを困らせるためにわざと迷い込み、迷子になった」という。少年は迷う男に貝を渡して「お守り」と言った。
次のターンでは奥から大量の海水が吹き出してきた。このままでは溺れる。迷う男は少年を助けて8番出口の看板の上に置き、自分は流される。
少年は次のターンで8番出口から脱出。
迷う男も生きており、8番出口から脱出。彼女に電話して妊娠のことを聞いてから電車に乗ると、迷う前に見た光景(サラリーマンが泣く赤子を抱えた女性に怒鳴っている)を見つける。
迷う男はサラリーマンを止めようと動いた。
映画『8番出口』終わり
映画『8番出口』考察まとめ:ストーリーの意味
Q:「あれはもう、人間じゃない」の意味は哲学的ゾンビ?
迷う男(二宮和也)は、歩いてくるおじさんを見て「あれはもう人間じゃない」と言う。
偽の8番出口から出てしまったおじさん(歩く男)は、永遠に通路に囚われてゲームのキャラ化してしまったのだろうか。
ストーリーとしては、何が起こっても毎回淡々と歩いてくるおじさんは、現代の日本に生きる我々のメタファーである。
毎日同じ時間に電車に乗って仕事…毎日同じことの繰り返し…それが決して悪いというわけではないが、思い当たる節がある人が多いのでは?
迷う男はそんなおじさんに対して、「あれはもう人間じゃない」と言った。歯車的な毎日を生きるのは人間ではないという痛烈な物言いだ。
さらにいえばおじさんは、迷う男、ひいては選択を誤った人間の未来そのものでもある。
迷う男は彼女に中絶をさせようか(子供を捨てようか)迷っている。おじさんは子供を見捨てて偽の出口から出た。おそらく一生ループから逃れられない。
キャラクターに名前がないのも、迷う男とおじさんそれぞれが一般的な男性の象徴だから。
つまり「あれはもう人間じゃない」は、迷う男が選択を誤った未来の自分自身を批判したセリフなのだ。
- おじさんは淡々と歩き続ける。
- 他の登場人物とすれ違っても反応がない。
- ただ「行動のプログラム」だけを遂行している。
歩くおじさんは「社会に適応しすぎて意志を失った人間」のメタファー=哲学的ゾンビ化した現代人の姿だと読める。
※哲学的ゾンビとは思考実験でよく使われる概念。見た目も行動も人間と同じだが、内側には意識も感情もない存在を指す。
Q:最初の異変に気づいた?観客参加型の作品
映画の最初の異変は、赤ちゃんを抱える母親を怒鳴っているサラリーマンを誰も止めなかったこと。これを“異変”と認識できないところに現代社会の冷たさが宿っている。もはや異変ではなくホラーだ。
主人公の迷う男もスルーする。この“異変”を見逃したので、8番出口に迷い込んでしまったのだろう。
母親を怒鳴るサラリーマンを見たら流石に止める人いるかもしれないけど、もっと小さな日常の異変を見過ごしている人は多いのでは?
私たち観客も社会的無関心の共犯者であると示している重要なシーンだった。
ちなみに少年の方が迷う男や歩く男よりも異変に多く気づいていたが、これは頭が柔軟な子供のほうが大人よりも、異変に気づきやすい示唆にみえる。
少年は迷う男の子供だと示唆されていたが、父子でなく同じ人間の少年期、青年期(迷う男)、中年期(歩く男)という別の解釈もできる。
迷う男は少年が母親の気を引くためにわざと迷子になったと聞いて「俺も同じことをした」と言っていた。おじさんだけでなく、少年も迷う男自身なのかもしれない。
同一人物の時間軸を分割したメタファー劇ともとれる。
Q:8番出口と通路の意味は?
8番出口が、父親になろうか迷う主人公の深層心理の具現化であることは明確だし、それ以上でもそれ以下でもないという考え方もできる。それでも深掘りするのも面白い。
1番しっくりくるのは心理的なユングの集合的無意識のビジュアル化。
8番出口は日本人誰しもが集合的無意識として持っている地下鉄通路での迷いのイメージ、無機質な冷たさ、無限ループなどのビジュアル化だと考えると少し感慨深い。
この集合的無意識に、
- 時空を超えたパラレルワールド(少年は迷う男の子供である。つまり迷う男が現在にいるとすれば、少年は未来からきている)
- エッシャー的なコンセプト
エッシャーのループは日常の至るところに潜んでいる。
これらの要素を付け加えたのが『8番出口』。
同じく川村元気さんがプロデュースした『すずめの戸締まり』や『君の名は。』に近い世界観。

おじさんが少年と出会い、少年が迷う男と会ったのは、それぞれが人生に迷って心の奥底にあるプラットフォームに接続した結果、同じ場所に到着=同じような迷いを抱えているということなのだろう。
主人公の彼女も8番出口から電話をかけていたが、彼女もやはり生むかどうかの選択に迷っている。
ラストシーンの意味:永遠ループしていた可能性
8番出口から出た迷う男は、電車の中で少し前の光景=泣く子供と母親をサラリーマンが叱っているのを再び目撃する。
過去にループしている。迷う男はサラリーマンを止めに入ったことが示唆されている。このときに本当の意味で8番出口から脱出したのだろう。
もしも止めなければ、また8番出口に迷い込む事になったはず。おじさんや女子高生のように8番出口の一部にされて永遠に同じ時をループすることになるかもしれない。
間違っているとわかっているのに繰り返すな!という映画の強いメッセージが見て取れるラストだった。
子供を抱える母親を助けるのか?観客への踏み絵となっている。

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