劇場版 鬼滅の刃 無限城編「猗窩座再来」を鑑賞!
ついにやってきた鬼滅シリーズ完結編三部作「第一章」のネタバレ・ラスト結末の解説。そして忖度なしの感想と評価をぶっちゃけます。
劇場版 鬼滅の刃 無限城編「猗窩座再来」ネタバレ・ラスト結末解説
胡蝶しのぶ VS 上弦の弐:童磨(どうま)
鬼殺隊が無限城に入って最初のバトルは胡蝶しのぶ VS 上弦の弐:童磨(どうま)。
胡蝶しのぶが姉・カナエが死ぬ間際のことを回想する。カナエは童磨にやられたことを示唆。この時点で泣けてくる。
童磨がいる御殿のデザインがまた美しい。池には恋はいないが、邪悪なオーラのようなものが揺らいでいて見応えがあった。
しのぶは目の前にいる童磨がカナエの仇だと確信して毒を調合して攻撃する。しかし童磨はすぐに解毒を身につける。
真剣なしのぶに対して、飄々と「人を殺すことは救うことだ」と説く童磨が怖い。
童磨の回想もある。子供ながらに頭がずば抜けてよく、親が作った宗教の神にされ、バカな人間たちを救うには命を奪うしかないと勝手に考える。憐れな悟りを開いてしまった彼もまた憐れ。
童磨は小さい体ながら超スピードと毒技を身につけ向かってくるしのぶに敬意を払う。しかし童磨はしのぶの鎖骨から肺までを扇子でザクリと切り裂いてしまう。このえげつなさが鬼滅。。。
しのぶは肺を血で満たして地獄の苦しみを受けつつも、最後のひと突き。しかしその攻撃も童磨には効かない。最後には童磨に体ごと取り込まれてしまうが、そこに弟子のカナヲが現れる。
善逸 VS 獪岳(かいがく)
場面は変わり、善逸がとうとう兄弟子の獪岳と退治。
善逸は獪岳が鬼になることを受け入れたせいでじいちゃん(師匠)が切腹したことを叫ぶ。善逸と獪岳、そしてじいちゃんの師弟関係が回想されるのだがこれまた深みがある。
善逸は雷の呼吸の壱の型しか使えない。不器用だが、雷の呼吸の本質をつかんでいる。
対して獪岳は壱の型以外は全てマスターしているが、壱の型は使えない。器用だが本質を欠いている。
そんな究極のほこたて対決!回想により、獪岳はじいちゃんが善逸を自分と同列に並べた(2人を継承者にした)ことを根に持っていると判明。なんとコイツは嫉妬の塊だった。他人が自分より評価されることを許せない心が狭い人間。
善逸はオリジナルの漆ノ型(しちのかた)・火雷神(ほのいかづちのかみ)で獪岳を葬り去る。
崩れながら落ちていく獪岳は首だけになりながら、「体力を使い果たした善逸も落下して死ねば、道連れになる!」とまだ負けを認めていないのが見ていて痛い。
獪岳のキャラクターとセリフは、他人にライバル心を抱いている時の自分の心を見せつけられているようで苦しくもなる。ある意味感情移入できたキャラ。
落下していた善逸は愈史郎(ゆしろう)に助けられ、獪岳は1人で絶望の中で死ぬことになる。
炭治郎&義勇 VS 猗窩座(あかざ)
炭治郎と義勇はついに猗窩座と遭遇。
炭治郎は日の呼吸に切り替えて応戦。しかし義勇と猗窩座のレベルにはまだ達しておらず、どうすればいいか考え抜いた末に、回想で父・炭十郎が教えてくれたヒノカミ神楽の極意を思い出し、アザを発現させ、筋肉や骨が見える透き通る世界を体験する。
炭治郎は覚醒し、とうとう猗窩座の首を切断。しかし猗窩座は首を切られてもなお動いて義勇を攻撃。炭治郎は力を使い切って気絶してしまう。
そのとき猗窩座の回想シーンが。。猗窩座は100年以上前に狛治 (はくじ)という名前の少年だった。病床の父のために薬を盗んで腕に刺青を入れられる。父は、狛治がまた捕まったと聞いて自殺。
絶望する狛治だったが、素流格闘技の師範・慶蔵に拾われ、病気の娘の恋雪の面倒を見る。数年たち、狛治の熱心な看病と「今は無理でも花火は来年も再来年もある」という狛治の言葉のおかげで恋雪は回復。狛治が道場を継ぎ、狛治と恋雪は夫婦になることになった。
しかしそんな狛治に悲劇が訪れる。狛治が父の墓参りで不在の時に道場のことをよく思っていなかった剣道場の人間たちが井戸に毒を盛り、なんと慶蔵と恋雪が死亡。
鬼滅では味方も敵も悲惨な過去を持っているが、猗窩座の悲劇は格別ひどい。いくらなんでもかわいそすぎるレベル。
狛治は怒り狂い、剣道場に殴り込んで素手で六十余名を殺害。無惨に見込まれて鬼になり、人間だった頃の記憶がなくなった。そしてひたすら武道を極めるしかなくなった。
猗窩座の頭は再生しようとしていたが、炭治郎に殴られたことで師匠に殴られた記憶を思い出し、父親、師匠、恋雪の幻をみて、真の弱者は自分だったと悟る。そして自分で自分を攻撃して死亡。
無限列車からのヴィランが切なく散る圧巻のラストだった。
劇場版 鬼滅の刃 無限城編「猗窩座再来」感想と評価
2時間半、至福の映像美が堪能できた。無限列車から5年…ということで随分間は空いたなあ(その分アニメは盛り上がっていたが)。
回想シーンが多過ぎとは誰もが思っただろうけど、個人的に猗窩座の回想シーンの入れ方を少し残念に感じた。
猗窩座の苦しすぎる過去にもちろん感情移入できた。
ただ、猗窩座が炭治郎に首を切られる前の段階で回想シーンの大部分を終わらせておいたほうがスッキリしたと思う。
猗窩座が首を切られてほぼほぼ勝負がついてから回想シーンがめちゃくちゃ続く。
首を切られる前に狛治だった頃の記憶をもっと見せておいたほうが、戦いのシーンが盛り上がったと思う。
猗窩座戦については、猗窩座だけでなく、炭治郎、義勇の回想まで盛り込まれいたので少し回想でお腹いっぱいになってしまった(義勇の回想は少なめだけど)。実際に戦っているシーンより回想のほうが長かったんじゃないかな?それだとやっぱり緊張感はなくなってしまう。
無限城編(炭治郎や柱たちがそれぞれの場所で上弦の鬼と戦う)の映画化ということで、ストーリーに起承転結がないぶん、回想で盛り上げるしかなかったのだが、胡蝶しのぶ、童磨、善逸、獪岳、炭治郎、義勇、猗窩座と敵味方全員の回想シーンが逐一入れ込まれる作りは映画としてはどうかと思った。
あとは、無限城編なのでこれまた仕方ないんだけど、鬼滅特有のボケを入れられるシーンが少なかったのも残念。炭治郎が義勇の顔を見てボケているシーンがあったが、そんな悠長な場面じゃないだろと思ってしまった。制作陣が「コメディパート入れなきゃ..」と頑張って入れてくれた感が拭えない。
まとめると映像美・アクションは日本最高レベルのクオリティで、泣けるシーンがたくさんあったが、映画というよりはアニメの長尺版といった印象。
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